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智(とも)は実子のいない弟・豊臣秀吉に、長男の秀次を養子として出していた。しかし…
1595年(文禄 4年) 秀次は秀吉と対立し蟄居先の高野山で自害
秀次の妻子はことごとく三条河原で処刑され、智の夫であり秀次の実父の三好吉房も流刑
1596年(文禄 5年) 実母の智は処刑された子や孫の菩提を弔うために出家、
以前から帰依していた日蓮宗による寺院を建てようとしたところ、
後陽成天皇が嵯峨の村雲(現・二尊院の北側)の寺地と寺号・寺領一千石を下賜
日蓮宗寺院で唯一の門跡寺院及び勅願所となり、代々皇女や公家の娘を貫首として迎える
江戸時代 嵯峨から西陣の堀川今出川付近の地(現・西陣織会館と西陣産業会館がある場所)に移転
1788年(天明 8年) 天明の大火により全焼、再建
1961年(昭和36年) 京都堀川今出川から秀次ゆかりの八幡山城の跡地に寺地を移す
日牟禮八幡宮の参詣に続けて、ロープウェイで八幡山を上って村雲御所へ向かった。
ご本尊様の前で合掌してご朱印をいただいた後、
堂内を巡ると真っ先に見覚えのある木村秀輝氏(キーヤン)による印象的な壁画絵が目に入ってきた。
キーヤン氏といえば天台宗青蓮院門跡の襖絵が有名で、数年前に実際に観たことがある。
現代的かつ強烈的な作風であるけれども、なぜか寺院にあっても馴染むところが不思議だ。
金色銀色の屏風絵は花鳥風月で雅であるし、動物たちが群れ遊ぶ姿はどことなく鳥獣戯画をも連想させる。
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昨年の初秋に近江八幡市を訪れ日牟禮八幡宮と村雲御所を参拝した。
村雲御所はかつて八幡城があった八幡山の山頂に、日牟禮八幡宮はその麓に位置する。
ご祭神
・誉田別尊 (ほむだわけのみこと…応神天皇)
・息長足姫尊 (おきながたらしひめのみこと…応神天皇の母、神功皇后)
・比賣神
131年 成務天皇元年
成務天皇が高穴穂の宮に即位の時、武内宿禰に命じこの地に大嶋大神(大国主神)を祀る
275年 応神天皇6年
応神天皇が奥津嶋神社から還幸の時、社の近辺に御座所を設けられ休憩した。
その後、その仮屋跡で二つの日輪の形が出現する現象があり、祠を建てて日群之社八幡宮と名付けた
691年 持統天皇5年
藤原不比等が参拝し、詠んだ和歌に因んで比牟禮社と改められたと云われる
(「天降りの 神の誕生の八幡かも ひむれの杜に なびく白雲」)
991年 正暦2年
一条天皇の勅願により、八幡山(法華峰)上に社を建立し、宇佐八幡宮を勧請して「上の八幡宮」を祀る
1005年 寛弘2年
遥拝社を山麓に建立し、下の社と名付ける
1585年 天正13年
豊臣秀次が八幡山城を築城するため、上の八幡宮を下の社に合祀。
1595年 文禄4年
豊臣秀次が高野山で自害したことにより、秀次ゆかりの八幡山城は廃城
1966年 昭和41年
神社本庁の別表神社に加列され、神社名を日牟禮八幡宮と改称する。
✦左義長まつり
✦八幡まつり
●美味しいものガイド
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近江神宮で6月の第1日曜日に開催される流鏑馬神事を観に大津へ向かった。
流鏑馬は十数年前に下鴨神社で見学した時以来である。
初めて参拝したが、昭和20年に創建されたとは思えない趣のある神社であった。
最近は映画「ちはやぶる」の舞台となり
百人一首の聖地となっているようである。
一の鳥居 二の鳥居 外拝殿
667年 飛鳥から近江大津京へ遷都
668年 近江令(非存在説あり)
671年 漏刻(水時計)を設け時刻制度の確立、日本最初の官立学校
内拝殿から本殿を望む
流鏑馬の様子(画質を1080pにしてご覧ください)
スローモーション
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今年より、
西国観音巡礼地と地の利が重なる近畿不動尊霊場にも礼拝してみようと計画を立ててみた。
まずは三井寺の北に隣接する25番札所の「圓満院門跡」へ。
全国で17寺しかない皇室と縁のある由緒正しい天台宗系の「門跡」だが
調べてみると、前住職が水子供養ビジネスに失敗し多額の負債を抱え
勝手に重要文化財を売却してしまうなどの醜聞あり。
2009年にはとうとう寺自身が競売に掛けられ、
現在の宗教法人に売却されるという前代未聞の経緯に驚かされる。
また近年でも不当人事や給与未払いなどの裁判沙汰、
得体のしれない中国人投資家への転売「寺ころがし」など耳を疑うような噂にいとまがない。
ご朱印を書いていただいた僧侶は立派な方にみえたが
私が今後も巡るべき不動霊場としてふさわしいお寺なのか正直一抹の不安が残る。
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