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花火大会による大渋滞と、思ってもみなかった神倉神社の登山に時間がかかり
阿須賀神社の参拝後に慌てて那智勝浦へ向かったが
次に参拝予定にしていた補陀洛山寺は閉まっていた。
あわよくば阿弥陀寺にも礼拝したいという当初の計画を諦め、
夜7時に始まる青岸渡寺の御開帳までの間に勝浦港で早めの夕食を取ることにした。
ずいぶんと久しぶりにクジラの刺身をいただけたのが嬉しい。
日も落ちかけて辺りが薄暗くなる中、山道を上る途中で現れる那智の大滝。
その大滝をご神体としているのが飛龍神社である。
誰もいない薄暗い神社の中は黄泉の世界のようで少し怖かったが、
飛沫がかかるくらい滝に近寄れば、その雄大さに圧倒され感動した。
■創建…不詳 神武天皇が滝をみつけ祀ったとされる。
■主祭神…大己貴神(大国主命)
■美味しいものガイド
・竹原☞
・いろは寿司☞
・bodai☞
・まぐろ三昧那智☞
・桂城☞
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■創建 紀元前423年(社伝)
平安時代後期から12世紀前半までの中世熊野参詣では、
阿須賀神社に参詣することが常であった。
■ご祭神
●事解男命(ことさかおのみこと)
・熊野速玉大神(くまのはやたまのおおかみ)…速玉
・熊野夫須美大神(くまのふすみのおおかみ)…那智
・家津美御子大神(けつみみこのおおかみ)…本宮
■熊野権現垂迹縁起
熊野の地において熊野権現はまず神倉神社に降臨し、
それから61年後に阿須賀神社北側にある石淵(いわぶち)谷に勧請されて、
その時に初めて結早玉家津美御子と称したと伝えられており、
熊野権現の具体的な神名がはじめて現れた場所とされる。
■神武東征神話…熊野神邑(みわむら)新宮発祥の地
孔舎衛坂の戦いに敗れた神武軍は、
奈良盆地の東側から侵攻するために紀伊半島を迂回し
最初に熊野へ踏み込んだ地が熊野神邑だった。
■徐福伝説
秦の始皇帝の命を受け不老不死の霊薬を求めた徐福がたどり着き
神社の裏山の蓬莱山に住み着き、村人に農業などを教えたという伝説
熊野の神々の後を追って
神倉神社から阿須賀神社へと向かうことにした。
こんもりとした小山の蓬莱山の麓にひっそりと佇む神社は
大きくはないが綺麗で品があり、その様から「神社の貴婦人」と呼ばれているという。
到着したとき神社の奥方が手水舎を掃除されていたが
この手水鉢は新宮城の城主、水野重良による寄進。
お詣りをしてご朱印をいただいた。
社務所の方と地域の話題や歴史話などで話がはずみ楽しいひと時であった。
その後、新宮市を離れ那智に向かったが花火の大渋滞に巻き込まれ
予定をかなり変更することになってしまう…。
■美味しいものグルメ
・徐福寿司☞
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・創建 128年
・主祭神 天照大神・高倉下命
熊野速玉大社を後にし、摂社である元宮の神倉神社へと向かった。
神倉神社には熊野の神々が最初に降臨したと伝わるゴトビキ岩が祀られている。
これが小高い山の上にあるとは知らなかったので
538段の石階段を目の前にして絶句してしまった。
それもただの階段ではなく、大小の石が急勾配に積まれていて
しがみつく様にして上らないといけない危ない階段であった。
足を置くスペースも狭く、天面が下側を向いて滑りやすく
下りる時はジグザグにスイッチバックをしながらでないと命の危険を感じるほど。
この急階段は源頼朝の寄進だという。
ヘトヘトになりようやく頂上へたどり着くと大きな巨石が出迎えてくれた。
ゴトビキとはヒキガエルの意味で、確かに可愛らしい形でもある。
ご神体なれど手で触れることができるので、パワースポットとして人気があるようだ。
もともとは清水寺のような舞台造りだったが、明治時代の水害で壊れてしまう。
明治政府が推進した廃仏毀釈により、仏教の信仰を捨てるように迫れたが
本地垂迹(神は仏の仮の姿であるという考え)などの
神仏融合の概念を捨てなかった熊野三山は政府から冷遇され
ゴトビキ岩の舞台造りが再建されることはなかった。
■蘇りの信仰と現在・過去・未来
「日本書記」にイザナミノミコトが熊野に葬られたという記述があることから
熊野は黄泉の国とされ、三山を詣でて帰ってくることで蘇るという信仰が生まれた。
熊野三山各大社の本地仏は
熊野本宮大社が「阿弥陀如来」で自分の未来を託し
熊野速玉大社が「薬師如来」で自分の過去を振り返り
熊野那智大社が「千手観音」で現在の自分を確認する
熊野三山を巡ることで人生が蘇ったことになる。
三山の根本でもある神倉神社を詣でれば、全てのご利益にあずかることができる。
■美味しいものガイド
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■主祭神 熊野速玉大神=伊邪那岐神(=速玉之男)
熊野夫須美大神(くまのふすみのおおかみ)=伊邪那美神
・上四社 第一殿 熊野夫須美大神(千手観音)
第二殿 熊野速玉大神(薬師如来)
第三殿 家津美御子大神(阿弥陀如来)
第四殿 天照大神(十一面観音)と高倉下命
■熊野権現御垂迹縁起
神代の頃、熊野の神々はまず初めに神倉山のゴトビキ岩に降臨した。
その後、景行天皇五十八年、
現在の社地に真新しい宮を造営してお遷りになり、「新宮」と号した。
1871年 県社に列格
1883年 打ち上げ花火が原因で社殿が全焼
1915年 官幣大社に昇格
1967年 社殿を再建
2004年 ユネスコ世界遺産登録
八咫烏神社
ご神木のナギ(写真中段) 参詣曼荼羅 手水舎と狛犬
熊野本宮大社の参詣後、新宮川を沿って熊野速玉大社へ向かった。
エメラルドブルーに輝く新宮川は怖いほど美しく、まさに神宿りを感じさせる。
境内は思ったよりコンパクトで、社殿は昭和時代に再建されたものであるが
ご神木のナギは熊野権現の象徴とされ、古からの信仰の歴史を物語っている。
ナギの葉を懐に納めてお参りすることが習わしとなっている。
私事であるが、母方の祖父が新宮出身であることもあって
速玉神社に参詣できたことをとても感慨深く思う。
私が生まれた時にはもう祖父は他界していたので、どのような人柄であったかは話にしかわからないが
この地に来ることで祖父の生き様やルーツに触れることができたような気がする。
さて、新宮に来たからには元宮である神倉神社に参らねば方詣りになってしまう。
熊野三山巡りの時間が押してくる中、コトビキ岩へ向かった。
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西国観音霊場巡りも、残すは最終札所の谷汲寺と一番札所の青岸渡寺のみとなる。
ご本尊のご開帳時期優先でお寺巡りをしてきた結果、一番札所が後回しになってしまった。
その青岸渡寺のご開帳は正月中と8月17日のみ。
この機会を逃すと満願が来年になってしまいそうなので決行することにした。
その道中、熊野三山を詣でることとし
名古屋を早朝に発つも、当日は熊野の大花火大会と重なり高速は朝から大渋滞。。
海岸沿いの一本道に大勢の車が集まったため、熊野入りまで数時間遅れとなってしまった(涙
それでも先ずは熊野本宮大社へ。
■縁起 天火明命(あめのほあかりのみこと)熊野国造家の祖神
天火明命の息子の高倉下(たかくらじ)は神武天皇に天剣「布都御魂」を献ずる
高御産巣日神(たかみむすひのかみ)は天より八咫烏を遣わし、神武天皇を大和まで導く
■主祭神 家都美御子大神(けつみみこのおおかみ)=素戔嗚尊
・上四社 第一殿 熊野牟須美大神(千手観音)
第二殿 速玉之男神(薬師如来)
第三殿 家都美御子大神(阿弥陀如来)
第四殿 天照大神(十一面観音)
境内の階段の途中にある祓戸大神に参り身を清める
拝殿 名物めはり寿司
615年 第十代崇神天皇の時代に大斎原に創建(皇年代略記)
旧社地大斎原の櫟いちいの巨木に、三体の月が降臨
「我は證誠大権現(家都美御子大神=素戔嗚尊)であり、
両側の月は両所権現(熊野夫須美大神・速玉之男大神)である。社殿を創って齋き祀れ」
天火明命の孫に当たる熊野連(くまののむらじ)に神勅がくだる。
奈良時代 仏教の取り入れ
平安時代 熊野権現と称し神々に仏名を配す
宇多法皇に始まる歴代法皇・上皇・女院の熊野御幸(藤原定家『明月記』)
室町時代 庶民の間にも熊野信仰が広がる(蟻の熊野詣)
1871年 熊野坐神社(くまのにいますじんじゃ)国幣中社に列格
1889年 大洪水で中社・下社が流される。現在は旧社地大斎原に石祠として祀られている。
1915年 官幣大社に昇格
大斎原
写真は拝殿までで、その先の御社殿(重文)は撮影禁止となってる。
御社殿は第一殿から第四殿まで並んでいるが、参拝の順序は三、二、一、四殿の順となるので注意。
このところ神社に参拝する度に土砂降りに見舞われているので天気が心配であった。
当日も小雨模様であったが神社に近づくにつれて晴れ間が見えてきた。
不思議に神社周辺だけがポッカリと天気になっている感じで
熊野の神々に受け入れられた感じがして清々しい気持ちになる。
参拝の後は境内にある茶屋で一服。名物のめはり寿司をいただく。
続けて速玉大社へ向かう帰り道、ずっとカラスが後をつけるように頭上を飛んでいた。
熊野本宮大社とはなんとなくご縁がありそうな気がする。
■美味しいものガイド
・茶房 珍重庵 本宮店☞
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