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空海が弘仁年間に諸国巡礼をし、
摂津国西生郡北野村(現在の梅田・曽根崎辺り)の地で七光の石を発見、
その石をもって五輪宝塔をつくり、不動明王を表す梵字を刻んだという。
その宝塔を安置する堂を建て不動堂としたのが起源であるとされている。
寺は嵯峨天皇、後鳥羽院などの勅願所となったとされ、
豊臣・徳川の厚い庇護を受け「兎我野の不動様」として庶民の信仰を集めた。
第二次世界大戦では戦乱に巻き込まれ本堂が焼失し、
昭和25年(1950年)に本堂を再建するが寺の周辺の環境の悪化が深刻化
昭和41年(1966年)に豊中市宮山に移転した。
中山寺を礼拝後、同じくご開帳中であった勝尾寺へ向かう途中に
近畿不動尊霊場8番札所である不動寺へ寄ってみることにした。
昭和時代に建てられたコンクリートの近代的なお堂であるが
本堂脇の護摩堂や仁徳天皇が愛したという白鹿堂は当時そのままの姿だそうである。
お不動様の青い壁画は圧巻。
心経を唱え、ご朱印と水晶の数珠玉をいただきお寺を後にしたが
実はこのお堂の二階にご本尊の「五大力不動明王像」が祀られていたと後日に知った。
また機会あれば二階のご本尊様を改めて拝してみたい。
さらに、大仏師松本明慶一門による仏像彫刻塾も興味深い。
●美味しいものガイド
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先月、梅田に用事があり今年3度目の大阪入りとなった。
大阪市内の大阪不動尊霊場の続きで、
中央区の谷町九丁目にある報恩院へ向かった。
こちらでは、霊木の樟を挟んで北向きと南向きのお不動様が背中合わせに立っておられるのが特徴。
一般的に神仏は南向きに祀られるが
特別な意味合いを持たせる場合、北向きに祀られることもある。
ちなみに、西向きの神社は荒魂であることが多い。
江戸時代、良遍上人が大阪の上町台地の佳き地を選び
現世利益の不動明王の世相にあった北向不動明王を造立したことが始まり。
商売繁盛と家内安全の諸願成就のご利益にすがろうとする庶民は日一日と増え
報恩院は香煙の絶えることがなかったといわれる。
大阪大空襲で北向不動尊を残して灰燼に帰したが
信徒や近隣住民の力で再興した。
●美味しいものガイド
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近畿不動尊霊場の第1番であるとともに、
西国三十三所観音霊場の番外、新西国霊場にもなっている四天王寺は
今回の大阪巡礼で最も期待していたお寺であった。
日本史の教科書にも載っていた、飛鳥様式の四天王寺式伽藍配置をこの目で見てみたかったのだ。
836年 落雷焼失
960年 火災焼失
1576年 石山本願寺攻めの兵火で焼失
1614年 大阪夏の陣で焼失
1801年 落雷焼失
1934年 室戸台風で倒壊
1945年 大阪大空襲で焼失
1963年 現在の姿に再建
石鳥居(重文・日本三大鳥居) 番匠器名号 金堂
龍の井戸(青龍が寺を守護している) 講堂
五重塔は信徒の供養位牌がズラリと並ぶ中、
最上階まで階段で上ることができるようになっている。
猛暑でサウナのように暑い塔内。急な螺旋階段を汗だくで上ったが
昨日の吉野の登山歩きの筋肉痛で膝が笑い、下る頃には一歩も動けなくなってしまった。
なんとかして対面の金堂へ入れば、
白鳳時代にみられる長方形の天蓋の下に
オレンジ色に鈍く光る、大きな救世観音像が目に飛び込んでくる。
杏仁形の目、大きな鼻はまさしく法隆寺で見た救世観音の特徴である。
戦後に作られた仏様だが、その存在感に圧倒される。
堂内は先祖供養の最中でお経が唱えられていた。
記憶が確かなら「大悲心陀羅尼」であったかと思う。
禅宗以外のお寺で耳にするのは珍しいのではないだろうか。
六時堂
石舞台(重文・日本三大舞台)
近畿不動尊霊場第一番のお不動さんは、亀井堂の脇にあり「亀井不動」と呼ばれている
水かけ不動で、御身体には苔がむしていた。
「ありがたや 法のはじめの 天王寺 亀井にうかぶ 不動明王」
ご詠歌の通り、亀井堂の地下には大きな石亀の水盤があり清水が湧き出ている。
ここでは故人を供養するため、戒名を書いた経木を柄杓に入れ清水に浸す姿が多くみられる。
間近で様子を見ていたが、残された家族の切なさが伝わってくるのだった。
お不動様に手を合わせていると、なにやら空が怪しくなり雷鳴が聞こえてきた。
突然の土砂降りは夏場の巡礼につきものだ。慌てず休憩所へ避難。
四天王寺に続けて、すぐ隣の清水寺へ礼拝予定も足止めをくらってしまった。
聖徳太子に「まだここにおれ」と言われているのだと解釈することにしよう。
毎年聖徳太子の命日の4月22日には雅楽が終日、
8月4日の夜にも天王寺舞楽が奉納される。機会あれば見に行ってみたい。
非常にダイナミックな踊りの「抜頭」
●美味しいものガイド
・虹の仏☞
・パリゴ☞
・総本家釣鐘屋☞
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吉野から戻った夜は大阪梅田に新しくできたホテルに宿泊し、
翌朝チェックアウト前に太融寺へ礼拝することにした。
梅田駅から300m、繁華街のど真ん中という立地。
近畿不動尊霊場の中で最も交通の便の良いお寺ではないだろうか?
周囲の喧騒に囲まれひっそりと佇んでいるが
こちらは嵯峨天皇の勅願で空海が建てた由緒あるお寺だ
ご本尊の千手千眼観音像は嵯峨天皇の念持仏であったという。
本堂で手を合わせた後、赤い宝塔の真下にある一願堂へ。
たくさんの提灯に囲まれるようにお不動様が祀られていた。
戦後に再刻されたお姿だが、一願不動尊として庶民に親しまれている。
心経を唱えご朱印と水晶玉をいただいた。
●美味しいものガイド
・魚心 梅田店☞
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■祭神 菅原道真公 天穂日命(アメノホヒ) 覚寿尼(道真の叔母)
菅原・土師氏の祖先の野見宿禰の所領地
土師神社…菅原氏の祖先の天穂日命を祀る
↓
仏教伝来 土師寺
↓
平安時代 道明寺(947年)
↓
明治時代 神仏分離により道明寺と分離する
■菅公遺品(国宝)
神門 注連柱 能楽殿 撫で牛
道明寺で観音様に手を合わせた後、隣の道明寺天満宮を参拝した。
道明寺からの流れで参拝する人以外、人影もまばらでひっそりとしていたが
梅の時期や天神祭の時はまた違った印象を受けるのであろう。
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■蓮土山
■真言宗御室派
■開基 土師氏(菅原道真の祖先)6世紀末
土師氏が聖徳太子に土地を寄進。土師寺が建てられ、後に道明寺となる。
■ご本尊 十一面観音菩薩立像(国宝・平安)伝・菅原道真作 98cm
カヤ一木造
1575年 兵火で焼失
1872年 神仏分離令で道明寺天満宮から分離
・道明寺の道明は菅原道真の号
・菅原伝授手習鑑
葛井寺に続き、隣町の道明寺へ向かう。
ご本尊様のご開帳は毎月18日と25日の2回。
数少ない国宝の十一面観音像の礼拝をとても楽しみにして伺った。
思ってたいたよりも小ぶりなご本尊様であったが、
漆黒の躯体にふっくらとした頬、流れるような天衣が特徴的であった。
甘党の私は、道明寺といえば饅頭の道明寺を思い出す。
お寺周辺に和菓子屋さんがあれば嬉しかったのだが…。
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