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(動画はInishie Japan様より拝借)
西国観音霊場巡りも残すところあと三か寺となり、
GW中に29番の松尾寺に向けて舞鶴へ出発。
その途中、関西花の寺第3番の「金剛院」に立ち寄ってみた。
■鹿原山
■真言宗東寺派
■ご本尊 波切不動明王
■開基 高岳親王(眞如)(829年)
■三島由紀夫「金閣寺」の舞台
・810年 薬子の変
嵯峨天皇と対立した皇太子の高岳親王(天皇の甥)は職を廃される。
・822年 高岳親王は出家して眞如と名乗る。後に空海の十大弟子の一人となる。
・829年 高岳親王(眞如)が高野山から弁財天を勧請。
眞如はその後、
864年に入唐。
865年にさらに天竺へ向かうが、途中の羅越国(マレーシア)で消息を絶つ。
・1082年 白河天皇の病気平癒祈願のため若狭から不動明王を勧請する。
全快した白河天皇は三重塔を建立して眞如を追善供養し、
勅願寺として「慈恩寺」の寺号を下賜する。
・1146年 美福門院により再再興。
山門 千年ガヤ 三重塔
本堂に繋がる雲仙閣 弁財天堂と鐘楼 不動滝
ご本尊の波切不動尊といえば高野山の南院を思いつく。
てっきり弁財天と同じく高野山から勧請されたのかと思ったが違うらしい。
また元々のご本尊は阿弥陀如来像であったということと
親王の法名が「眞如」からして、最初は浄土宗に帰依していたのだろうか?
三重塔の扉が開かれ、祀られてる眞如像を拝むことができた。(写真中段上)
政変に巻き込まれ、世俗を離れ仏道を歩むこととなった高岳親王。
覚悟を決めた入唐、遠方での最期を思うと心が切なくなってくる。
三重塔から本堂までの山腹の楓は、江戸時代に細川幽斎が植樹したものだという。
秋になって真っ赤に燃える山肌を眞如はどのような気持ちで見ているのだろうか。
■美味しいものガイド
・ほのぼの屋☞
・卑弥呼☞
・レストランおこじょ☞
・トマト&オニオン創業店☞
より大きな地図で 西国巡礼手帖マップ を表示
成相寺の参拝後、天橋立へ移動。
想像していた以上に観光地化されていて
温泉旅館やレストランが狭いエリアに集まっていた。
巡礼の予定にはなかったが、その一画にある智恩寺へお邪魔した。
室町時代までは真言密教のお寺だったとのこと。多宝塔はその名残。
境内の松の枝に扇のおみくじが沢山ぶら下がっていた。なにか謂れがあるのだろうか?
山門
多宝塔(重文・室町)
文殊堂 鐘楼 庫裏
■山号 天橋山(五台山)
■臨済宗妙心寺派
■智恩寺のHP☞
■日本三文殊の一つ
■ご本尊 文殊菩薩像(秘仏 1/1〜3、1/10、7/24ご開帳)
■創建808年 平城天皇 当初は真言宗
■九世戸縁起(鎌倉時代)
イザナギ、イザナミが日本の島々を造られていた時代
地上で龍が暴れまわり人が住めたものではなく
困ったイザナギが中国の五台山におわす文殊菩薩を迎えることにした。
文殊菩薩は千年かけて説法し、龍を改心させて善神としたという。
詳しくは天橋立観光協会☞
年間に5日間のみの秘仏のご開帳、ご縁があればまたじっくりと礼拝したい。
■美味しいものガイド
・対橋楼☞
・ワインとお宿 千歳 CHITOSE☞
・文殊荘☞
・文珠荘勘七茶屋☞
・はしだて茶屋☞
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