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■那智山
■天台宗
■ご本尊 如意輪観世音菩薩(節分・4月・お盆にご開帳される)
■開創 4世紀(伝)
■開祖 裸形上人
インド天竺から渡来した裸形上人が那智の滝壺から金色の観音像をみつけ祀ったのが始まり。
6世紀後半、生仏聖が伽藍を建立し、裸形上人の本尊を胎内に納めた丈六の本尊を安置(伝承)
戦国時代…織田信長により焼き討ち
豊臣秀吉による復興
明治時代…廃仏毀釈で三重塔など破却されるが如意輪堂は免れた。
■ご詠歌 「補陀洛や 岸打つ波は 三熊野の 那智のお山に ひびく滝津瀬」
西国観音霊場三十三所のスタート地点であるが
熊野という奥深い箇所にあることと、ご開帳時期優先で廻っていたため
なんと32番目の礼拝となってしまった青岸渡寺。
お盆の精霊追善大法要の始まる午後7時に合わせてお寺に到着したので
隣接の熊野那智大社に参拝することはできなかったのが残念。
如意輪堂には既に檀家さんや信者さんでいっぱいであった。
お盆の法要と言えば、昨年に体験した清水寺の千日詣りのようなものを想像していたが
青岸渡寺では霊場三十三所のご詠歌を一つ一つ唱和することから始まった。
観音経ならまだしも、ご詠歌までは覚えていない。
全てのご詠歌が終わるまでお堂の隅でひたすら手を合わせるのみ(汗
時折ご詠歌の途中で南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、という念仏が唱えられた。
ご詠歌が終わり、気が付くと祭壇の前にあったお前立の如倫観音像が移動し、
秘仏ご本尊に掛けられていた戸帳が一気に開かれた。
般若心経と観音経が唱えられ、檀家さん達の後に続いて内陣に入り観音様と相まみえる。
目鼻立ちのハッキリとしたお顔立ちと、予想以上に大きな姿から凛々さが伝わってくる。
法要後は参加者にお下がりとして丁寧に箱入りのお菓子が配られたのが有り難い。
納経してようやく第一番のご朱印をいただけたのがとても嬉しい。
お寺を後にし、再び花火大会の大渋滞に巻き込まれての帰路となった。
できるなら次回はゆっくりと、熊野那智大社と合わせて参拝してみたい。
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