☞そうだ京都、行こう
(今しか見られない! 曼殊院の宸殿復興と黄不動特別公開)
京都洛北に位置する曼殊院にて、150年ぶりに宸殿が再建された記念に
国宝である黄不動明王像が特別公開されると聞き、六月下旬に初めて訪れてみることにした。
曼殊院は皇族ゆかりの門跡寺院とのことで想像していた華やかさとは裏腹に
質素で深い歴史を感じさせる寺院であった。
山号 なし
宗派 天台宗
寺格 門跡寺院(天台五門跡)
本尊 阿弥陀如来
創建 947-957年(天歴年間)
開基 是算(ぜさん)
■黄不動明王像
■幽霊画
■古今和歌集
■小さな桂離宮
曼殊院は書院など建物内の写真撮影が禁止されているが
国指定名勝は自由に撮影することができる。
(亀島)
黄不動尊といえば数年前にご結縁させていただいた滋賀県の三井寺(園城寺)を思い出す。
曼殊院の黄不動尊はその像を模写したものだそうだが
数ある写しの中でも最古のものとして国宝指定されている。
宸殿前庭の「盲亀浮木の庭」
境内にある弁天島の弁天堂
池には鯉や亀が多く住みついていている。
足元の繁からニシキヘビが顔を出して驚いたが
財運の弁財天の使いなのかも?とても縁起の良いお導きに感謝!
●美味しいものガイド
・はつだ☞
・麺屋 極鶏☞
・天天有 一乗寺本店☞
・中華そば ?安☞
・天下一品 総本店☞
・雲母漬老舗穂野出☞
・一乗寺中谷☞
・パティスリー タンドレス☞
・一善や 京都本店☞
・グリルにんじん☞
・中華そば ますたに 北白川本店☞
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山号 五智山
宗派 真言宗御室派
寺格 別格本山
本尊 阿弥陀如来
創建 1057年(天喜5年)
開基 藤原康基 (後冷泉天皇の勅願)
仁和寺を礼拝したのち、すぐ隣にある五智山蓮華寺を礼拝した。
ひっそりとした境内に時代を感じさせる五智如来石像に混じり
可愛いらしいキャラクターの像なども点在し明るい印象のお寺である。
不動堂に入り般若心経を唱え合掌。
事務所にて近畿不動霊場のご朱印と数珠用の水晶玉をいただいた。
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(仁王門・重文)京都三大門
桜のシーズンが終わる頃、遅咲きで有名な御室桜を観がてら京都仁和寺を礼拝した。
ようやくコロナ自粛が緩和された中での花見、
最後の桜を見ようとする観光客でお寺は大勢の人で賑わっていた。
山号 大内山
宗派 真言宗御室派 総本山
本尊 阿弥陀如来
創建年 888年(仁和4年)
開基 宇多天皇
南庭(勅使門・仁王門)
北庭(宸殿)
(五重塔・重文) (霊明殿)
御室桜については姉妹ブログをどうぞ ✦NOKTONと、ふたり☞
(中門・重文)
(金堂・国宝)御所の紫宸殿から移築
仁和寺は近畿三十六不動尊霊場の14番であり、ご朱印と水晶の数珠玉をいただいたのだが
肝心の水掛不動尊を礼拝し忘れるという失態!
てっきり金堂裏堂に描かれた五大明王像だと勘違いしてしまった(汗
早い時期に再訪し水掛不動尊を礼拝したいと強く思う。
●美味しいものガイド
・さのわ☞
・笹屋昌園 CAFE & ATELIER☞
・カフェ山猫軒☞
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三福(寅の年・寅の日・寅の刻)が巡る本年、
聖徳太子が創建した朝護孫子寺へ礼拝してみたいと思っていたところ
2月の26、27日に「信貴山寅まつり」の大法要が開催されるとのことで伺うことにした。
ご本尊、毘沙門天王の御利益は開運と金運・商売繁盛であるため朝から多くの人で賑わっていた。
✦朝護孫子寺のHP☞
・千手院のHP☞
・玉蔵院のHP☞
・成福院のHP☞
山号 信貴山
院号 歡喜院
宗派 信貴山真言宗
本尊 毘沙門天
創建年 伝・587年(用明天皇2年)
開基 伝・聖徳太子
中興 命蓮
仁王門 聖徳太子が飼っていた雪丸(ちょっと目が怖い)
成福院融通殿 千手院護摩堂
お金を融通してもらえるよう、財布の中に融通さんのお守りを。
大きな張り子の寅が神輿に担がれて本堂へ。
寅年生まれの寅男と寅女、そして僧侶らの長い行列はなかなかの壮観。
秘仏ご開帳、毘沙門天王さまに礼拝。
続けて本堂の体内巡りへ。真っ暗の中そろりそろりと足をすすめて手探りで錠前を探し当てる。
今回はタイミングの問題か、僧侶らの大般若経を聞くことはできなかったが
また機会あれば迫力ある御祈祷を受けてみたい。
●美味しいものガイド
・曽我乃家本店☞
・蓬乃里☞
・洋菓子工房 ボン・シック☞
・Cafe funchana カフェ ファンチャーナ☞
・惣菜 松本☞
・鳥喜久☞
・ラーメン家 煌☞
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東大門(国宝) 日本最古の鐘楼(国宝)
三重塔(国宝) 曼陀羅堂(国宝)
中之坊 剃髪堂 行者の大釜「陀羅尼介」発祥地のひとつ
漢方薬「ツムラの中将湯」のデザインにもなっている中将姫。
その中将姫と深い縁のあるお寺が奈良県葛城市にある當麻寺であり、
毎月16日には姫が深く信仰していた「導き観音」の祈願会が執り行われている。
この日に礼拝すると特にご利益があるとのことなので、日曜日と重なった1月16日に訪れてみることにした。
山号 二上山
宗派 真言宗・浄土宗
本尊 当麻曼荼羅
創建年 伝・612年(推古天皇20年)
開基 伝・麻呂古王(聖徳太子の異母弟)
塔頭「中之坊」の道場で写仏体験に参加。写真はその練習風景。
筆で仏画を描くのは初めてのことで、下絵からはみ出ないように線を引くのがやっとであった。
はみ出ないことだけに集中するあまり、全く線に勢いのない仏画になってしまったのが反省点^^;
完成した仏画は祈願と共にお寺へ奉納。
仏画体験の後、導き観音様が祀られている「剃髪堂」へ。
ちょうど法要の準備中のようでお堂の中に入ることはできなかった(涙
観音様の手から伸びる五色の紐を握って合掌。平安時代の古さを感じさせぬ今様の優しいお顔立ちだ。
書院(江戸・重文)
曼陀羅堂にある立派な厨子(天平・国宝)と
それに収まる大きなご本尊「當麻曼陀羅」の存在感に圧倒される。
真冬の當麻寺は正直とても地味に感じられたが、春には桜や牡丹など華やぐお寺になっているであろう。
お寺のTwitterによると、コロナで中止されていた練供養会式も2年ぶりに執り行われたとのこと。
機会あればいつか練供養会式を直にみてみたいと思う。
●美味しいものガイド
・玉や☞
・薬庵☞
・ねり天・瓦そば 味のかけ橋☞
・マガジーノ☞
・中将堂本舗☞
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楼門(安土桃山・重文)
内拝殿
奥の院
昨年の晩秋、紅葉狩りを目的に京都の南部、伏見稲荷大社とライトアップされる東寺へ向かった。
伏見稲荷大社へは十数年前に一度訪れただけ、それも拝殿前での参拝だけだったと記憶している。
そこで今回は時間をかけてじっくりと稲荷山を一周巡ってみることにした。
後にこの稲荷山全体がご神体だと判ったが、途中かなりスピリチュアルなものを感じる場所があり
熊鷹社や稲荷塚の周辺は異世界に迷いこんだかのような空気感がある。
●美味しいものガイド
・けんどん屋☞
・千本いなり☞
・稲福☞
・懐石カフェ 蛙吉☞
・宝玉堂☞
・いなりふたば☞
・松の下屋☞
・稲荷茶寮☞
・三玉亭☞
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昨年の秋、十数年ぶりに高山を日帰り観光した際、
街の中にある飛騨国分寺を訪ねた。こちらでは天然記念物の大銀杏があることで有名で
黄金色に輝く姿を期待したが紅葉にはまだ少し早かったようだ。
JR高山駅周辺の変貌ぶりには驚いた。
前回訪れた時は「赤かぶ検事奮戦記」のドラマで観た昭和な駅舎風景がまだ残っていたのだが
今は近代的な駅舎に建て替えられ、近くには真新しいホテルもオープンしていた。
いつの日か泊りがけで高山まつりなど楽しんでみたいものだ。
●美味しいものガイド
・丸明 高山店☞
・味蔵天国 飛騨牛食処☞
・キッチン 飛騨☞
・弱尊☞
・CENTER4 HAMBURGERS☞
・金乃こって牛☞
・まさごそば☞
・麺屋 しらかわ☞
・豆天狗 高山本店☞
・旬亭なか川☞
・梗絲(きょうし)☞
・舩坂酒造店☞
・二四三屋 鍛冶橋店☞
・茶房 大野屋☞
・喫茶去かつて☞
・レストラン ル・ミディ☞
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智(とも)は実子のいない弟・豊臣秀吉に、長男の秀次を養子として出していた。しかし…
1595年(文禄 4年) 秀次は秀吉と対立し蟄居先の高野山で自害
秀次の妻子はことごとく三条河原で処刑され、智の夫であり秀次の実父の三好吉房も流刑
1596年(文禄 5年) 実母の智は処刑された子や孫の菩提を弔うために出家、
以前から帰依していた日蓮宗による寺院を建てようとしたところ、
後陽成天皇が嵯峨の村雲(現・二尊院の北側)の寺地と寺号・寺領一千石を下賜
日蓮宗寺院で唯一の門跡寺院及び勅願所となり、代々皇女や公家の娘を貫首として迎える
江戸時代 嵯峨から西陣の堀川今出川付近の地(現・西陣織会館と西陣産業会館がある場所)に移転
1788年(天明 8年) 天明の大火により全焼、再建
1961年(昭和36年) 京都堀川今出川から秀次ゆかりの八幡山城の跡地に寺地を移す
日牟禮八幡宮の参詣に続けて、ロープウェイで八幡山を上って村雲御所へ向かった。
ご本尊様の前で合掌してご朱印をいただいた後、
堂内を巡ると真っ先に見覚えのある木村秀輝氏(キーヤン)による印象的な壁画絵が目に入ってきた。
キーヤン氏といえば天台宗青蓮院門跡の襖絵が有名で、数年前に実際に観たことがある。
現代的かつ強烈的な作風であるけれども、なぜか寺院にあっても馴染むところが不思議だ。
金色銀色の屏風絵は花鳥風月で雅であるし、動物たちが群れ遊ぶ姿はどことなく鳥獣戯画をも連想させる。
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昨年の初秋に近江八幡市を訪れ日牟禮八幡宮と村雲御所を参拝した。
村雲御所はかつて八幡城があった八幡山の山頂に、日牟禮八幡宮はその麓に位置する。
ご祭神
・誉田別尊 (ほむだわけのみこと…応神天皇)
・息長足姫尊 (おきながたらしひめのみこと…応神天皇の母、神功皇后)
・比賣神
131年 成務天皇元年
成務天皇が高穴穂の宮に即位の時、武内宿禰に命じこの地に大嶋大神(大国主神)を祀る
275年 応神天皇6年
応神天皇が奥津嶋神社から還幸の時、社の近辺に御座所を設けられ休憩した。
その後、その仮屋跡で二つの日輪の形が出現する現象があり、祠を建てて日群之社八幡宮と名付けた
691年 持統天皇5年
藤原不比等が参拝し、詠んだ和歌に因んで比牟禮社と改められたと云われる
(「天降りの 神の誕生の八幡かも ひむれの杜に なびく白雲」)
991年 正暦2年
一条天皇の勅願により、八幡山(法華峰)上に社を建立し、宇佐八幡宮を勧請して「上の八幡宮」を祀る
1005年 寛弘2年
遥拝社を山麓に建立し、下の社と名付ける
1585年 天正13年
豊臣秀次が八幡山城を築城するため、上の八幡宮を下の社に合祀。
1595年 文禄4年
豊臣秀次が高野山で自害したことにより、秀次ゆかりの八幡山城は廃城
1966年 昭和41年
神社本庁の別表神社に加列され、神社名を日牟禮八幡宮と改称する。
✦左義長まつり
✦八幡まつり
●美味しいものガイド
・クラブハリエ ジュブリルタン☞
・ラ コリーナ近江八幡☞
・近江牛鉄板焼 伊ぶき☞
・特選近江牛レストラン ティファニー
・シーダサイカン☞
・ひさご寿し☞
・近江牛創作ダイニング 久ぼ多屋☞
・たねや日牟禮乃舎☞
・クラブハリエ 日牟禮館☞
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應天門(重文)
創建 1895年(明治28年)3月15日
主祭神 ・桓武天皇…平安京最初の天皇
・孝明天皇…平安京最後の天皇を1940年(昭和15年)に合祀
1895年(明治28年)、平安遷都1100年を記念して内国勧業博覧会に合わせて創建された。
社殿は平安京の大内裏の正庁である朝堂院を模し、実物の8分の5の規模で復元されている。
今回、美術館えきKYOTOで「永遠のソール・ライター」という写真展を観るため京都入りし
午後は桜で華やぐ市内を観光することにした。
当初のプランでは蹴上から平安神宮、そして御所へとも考えるもさすがに無理があった。
岡崎の遊覧船を楽しんでカフェで寛ぎすぎたか、もう日が傾きはじめていたのだ。
この時季なら、JR東海のCMで流れた平安神宮神苑のしだれ桜をこの目で見たかったが
拝殿で参拝して記念ご朱印をもらう頃には入苑時間がギリギリで諦めることにした(涙
✦左近の桜、右近の橘
京都御所の正殿「紫宸殿」に習った左近の桜が満開であった。
左近とは左近衛府、右近とは右近衛府の略称であり
左近は紫宸殿の東方に,右近は西方に陣を布いた。
ちょうどその陣頭の辺に植えられているのでこの名がある。
大極殿(外拝殿)(重文)
おそらく初めて京都に訪れる人の多くが参拝する神社であり最もポピュラーな観光地であるが、
創建の背景が、東京遷都と幕末の戦乱で衰退した京都の復興にあったことや
主祭神が二人の天皇であることを知ってる人は少ないのではないだろうか。
知ってるつもりで意外に知らない平安神宮、
今回は見送った名勝の神苑もいつかじっくりと散策してみたい。
●美味しいものガイド
・cenci(チェンチ)☞
・Section d'or☞
・epice okazaki☞
・Pizzeria Napoletana Da Yuki☞
・オ・タン・ペルデュ☞
・Kyoto Modern Terrace 京都モダンテラス☞
・卯sagiの一歩☞
・龍門 岡崎店☞
・山元麺蔵☞
・京うどん 生蕎麦 おかきた☞
・グリル小宝☞
・蛸安 岡崎店☞
・ラ・ヴァチュール☞
・六盛 スフレ&カフェコーナー茶庭☞
・Salon de KANBAYASHI 十二十二店☞
・cafe de 505 京都国立近代美術館店☞
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年に一度、11月15日だけに御開帳される
真如堂のご本尊の阿弥陀如来像と脇仏の千手観音像、不動明王像。
今年は日曜日に当たるまたとない機会であったので礼拝に京都東山まで向かった。
京都駅へ着いてみるとバスターミナルは大混雑。
一旦、今出川駅まで地下鉄移動してバスに乗り換えることにした。
総門(赤門1695再建) 本堂(1717再建) 三重塔(1817再建)
✦頷きの阿弥陀
慈覚大師円仁が一刀三礼にて彫刻したご本尊、
完成直前に「比叡山の修行者の本尊となりたまえ」と言って白毫を入れようとすると、
阿弥陀像は首を三度横に振って拒否されたので、
「では京の都に下って、一切衆生をお救い下さい。中でも女人等を救いたまえ」と言うと、
阿弥陀像は三度頷かれたという。
✦安倍晴明の念持仏だった不動明王
真如堂御本尊の脇侍の不動明王は安倍晴明の念持仏で
不慮の死に遭った安倍晴明が閻魔大王の前に引き出された時、
この不動明王がその場に飛来して命乞いをしたという。
例年であれば執行されていた「お十夜」の大法要は新型コロナのために中止され
また、本堂の内々陣に入って御本尊側近くでの礼拝も今年は外陣からのお参りとなった。
厨子正面から御本尊様を拝むも、戸張で脇仏は見えにくく上手下手に移動して拝顔。
厨子の真横の扉から見る阿弥陀様のシルエットは美しかった。
礼拝を済ませて本堂奥の書院へ。
鈴木松年による松の間の豪快なタッチの襖絵(明治)
曽根三郎氏による涅槃像を模した枯山水の「涅槃の庭」(1988)や
上の写真、重森千青氏の「隨縁の庭」(2010)など近年の作品も多い。
一通り紅葉の写真を撮り終えて
さて次は、くろ谷の金戒光明寺へ行けるかなと考えていたところ
何やら本堂でお坊さん方が慌ただしくなってきたので尋ねてみれば
これから御本尊の閉扉の法要の準備に取り掛かるとのこと。
そうそう立ち会えない瞬間をこの目でみたくなり、
予定を変えてそのまま本堂で法要に参加することに。
運よく阿弥陀様と目が合う位置に陣取れて合掌。
天台浄土系のお経はよく分からないが無量寿経?かな??
読経が終わると数名のお坊さんが祭壇の前に集まり
ご住職が大きな厨子によじ登るようにして正面の扉は締められた。
一年後に再び厨子の扉が開く時には新型コロナも終息し、
いつも通りの「お十夜」で御本尊を迎えられることを期待したい。
●美味しいものガイド
・茂庵☞
・お多やん☞
・菜食光兎舎☞
・青おにぎり☞
・パティスリー タツヒト サトイ☞
・進々堂 京大北門前☞
・哲学カフェ☞
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天皇陛下御即位を祝し、今年3月より秘仏のご本尊がご開扉されていた石山寺。
新型コロナの自粛要請期間が明けた6月に訪れるも、
当日かなりの拝観者の数で時間が無く、その後の予定もあってやむなくお寺を後にしたが
幸運にもご開扉期間が8月10日まで延長されたことにより再度訪れることができた。
ご本尊を納めた宮殿の扉は天皇の勅命で封印されており
御開扉の際には宮内庁の勅使によって開錠される。
このように勅命でご本尊の開扉が禁じられているお寺は日本で唯一、石山寺だけである。
聖武天皇は東大寺廬舎那仏造営に必要な黄金を調達するため、
良弁に奈良吉野の金峰山で祈祷させると
蔵王権現から「大津で祈祷せよ」との夢のお告げがあった。
後日、聖武天皇の持念仏を当地の巌に安置して祈祷したところ陸奥で黄金が見つかった。
そのまま持念仏は巖から離れなくなり、その上に伽藍を建立することになった。
前回の御開扉は、33年毎にあたる2016年。
実はこの年にもご本尊を拝していたので人生二度目の直接礼拝となる。
ソーシャルディスタンスを保って内陣の中へ。
珪灰石に半跏趺坐する丈六(約5m)のお姿は大きくて頼りがいがある。
実に静かでたおやかなお顔は「慈悲の仏」と呼ばれるにふさわしく
ポスターで見る印象とはかなり違う。
心の中で般若心経を唱え終わっても離れがたく、瞳に吸い込まれたように動けなくなる。
なにせ次回のご開扉は2047年になるのだから…(涙
「石山寺」の名の通り、この地一帯に現れた珪灰石の上にお寺は建っており
特に国宝の多宝塔の下に広がる雄大な景色は圧巻。
近年はパワースポットとしても有名になっているという。
文学歴史上の偉人も信仰したという石山寺の如意輪観世音菩薩。
33年毎を思うと人生で二度も尊顔を拝せたのは幸せであった。
いや待て、やはり2047年まで意地でも長生きしようと思う(笑
●美味しいものガイド
・薬膳館 中国茶房喫茶去☞
・新月☞
・手打ち蕎麦 蕎麦屋すみ蔵☞
・茶丈藤村☞
・叶匠寿庵 石山寺店☞
・コクトゥーラ(coctura)桜井☞
・志じみ茶屋 湖舟☞
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大門(仁王門) (1452年・重文) 三井の晩鐘(1602年・重文)
閼伽井屋(重文) 金堂(1599年・国宝)
三井の霊泉 五別所寺院水観寺
西国三十三所第13番の石山寺と14番の三井寺が
天皇陛下ご即位にあたって秘仏観音像のご開帳を春から開催していたが
新型コロナの外出自粛期間と重なってしまい、半ば礼拝は諦めていた。
期間の終盤になってようやく自粛が明けたのを機に
すぐに滋賀県大津の両寺を訪れることにした。
しかし、午前中に石山寺に到着するも拝観時間の短縮のせいか
本堂はご開帳、ご朱印とも長蛇の列で大渋滞。
昼食の予約時間もあったので拝観を切り上げ、三井寺方面へと向かった。
(後日、石山寺はご開帳の期間を8月まで延長することを発表した)
観音堂へ向かう途中にある「ねずみの宮」
白河院の時代、
朝廷から三井寺に戒壇道場を設ける許可を比叡山延暦寺の横やりで取り消され
怒った頼豪阿闍梨は21日間の護摩を焚いて絶命してしまった。
その後、阿闍梨の強い念が八万四千匹の鼠となって
比叡山のお堂や仏典を喰い荒らしたしたという伝説が残る。
今も「ねずみの宮」は睨み付けるように比叡山の方を向いている。
秘仏如意輪観世音菩薩像のご開帳は5年ぶりになるだろうか。
いつもの礼拝所から外陣・内陣と入らせてもらい帳で仕切られた奥へと向かう。
祭壇上の観音様は丸味を帯びた優しいお顔に見えるが
ハッキリとした目鼻立ちはエキゾチックにも感じる。
般若心経を唱え、写経を納めてお軸にご朱印をいただいた。
礼拝後、咽が乾いたので境内にある「ながら茶房 本寿院」さんで一服。
元々僧坊だった建物を改装したという茶房は
重厚な外観と違って、アットホームな空間でとても落ち着く。
私がカメラを持ってることを知った店員さんが
庭の池に天然記念物のモリアオガエルがいることを教えてくれた^^)
日が傾き始めた頃にお寺を後にした。
この日礼拝できなかった石山寺へは、後日ゆっくりと訪れてみようかと思う。
●美味しいものガイド
・ながら茶房 本寿院☞
・三井寺力餅本家☞
・叶匠壽庵 長等本店☞
・近江牛ダイニング OKAKI ビエラ大津店☞
・マドカフェ mado cafe☞
・なぎさWARMS ナギサウォームズ☞
・アンチョビなぎさのテラス店☞
・ラーゴ☞
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旧本堂
中世 源頼朝の再興
室町 鏡の埋納が始まる
江戸 徳川家光の再興
明治 神仏分離令により東照宮との分離、廃仏毀釈による衰退
明治38年(1905年)京都法輪寺による再建。
翌年に天台・真言の両宗派は真言宗に統一し高野山の所属となる。
鳳来寺を礼拝するコースは二通りある。
山頂近くの駐車場へ車を停めて東照宮から巡るコースと
麓の赤い仁王門から続く1450段の石段を約1時間かけて登るコースだ。
それに気付かず山頂の駐車場からスタートしたので
あやうく仁王門(重文)を観ずに帰るところであった。
麓から赤い仁王門を目に焼き付け
次回機会あれば石段を登って礼拝してみようと思った。
西国の難所である施福寺の石段とどちらが大変だろうか…
●美味しいものガイド
・湯の風HAZU☞
・鳳城苑☞
・うな喜☞
・こんたく長篠☞
・お惣菜バイキング もっくる☞
・三河猪家 いろり☞
・鳳来館☞
・アルフォンソカフェ☞
・卯月☞
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慶安元年(1648年)4月、
日光東照宮へ参拝した徳川家光が『東照社縁起』に感銘を受け
鳳来寺の本堂修復と薬師堂の再建と東照宮の創祀を発願
徳川家綱の時代1651年に社殿が完成
江戸城内の紅葉山御殿に祭られていた「御宮殿」(厨子)と神体である「御神像」(神像)を遷祀し
家康が関ヶ原の戦いで帯刀したという太刀も神刀として奉納された。
●東照社縁起
家康の父母である松平広忠と正室於大の方(伝通院)は子宝祈願のため
夫妻そろって領内の鳳来寺に参篭したところ、
伝通院が東方より現れた老翁に金珠を与えられる夢を見て、間もなく家康を懐妊したという。
拝殿(重文)
半月ほど前のこと、
紅葉狩りを兼ねて愛知県新城市にある鳳来山を訪れてみた。
標高が684mもあるので、とっくに山は真っ赤に染まっているだろうと期待したものの
まだそれほど紅葉していなかったのが残念であったが
断崖迫る雄大な景色は見応えがある。
社務所でご朱印をいただき
隣の鳳来寺へと向かうことにした。
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