西国巡礼手帖
訪れた西国巡礼地の資料と備忘ブログです。お気軽にコメントもどうぞ♪
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【高野山・壇上伽藍】 秘仏薬師如来坐像と密教世界 / 和歌山県高野山
2015.06.23 Tuesday
根本大塔 大会堂 三昧堂 東塔(1984年再建)
【高野山・奥の院からの続き】
奥の院近くで昼食をとり、時間があったので歩いて壇上伽藍へと向かった。
地図はHPより
不動堂(
国宝
・安土再建) 大会堂(1848年再建) 三昧堂と西行桜(1816年再建)
根本大塔 金堂
中門 1843年焼失 2015年再建
■金堂
1926年 6回目の焼失(絶対秘仏のご本尊と脇侍6体も焼失)
1932年 再建
年中行事の大半が勤修される金堂は、
ご本尊薬師如来と胎蔵界・金剛界曼荼羅を修法する三壇を持つ。
高村光雲により再刻された秘仏薬師如来像がご開帳となった。
当日は法会と重なり、お堂の縁から参拝するだけであったが
昭和のご本尊様は立派なものの木肌はまだ若く、1926年の本尊焼失が惜しまれる。
ところで
密教の総本山とでもいうべき金剛峯寺でも
ご本尊が大日如来ではなく薬師如来であるのは素人目には不思議に思える。
ほとんどの在家の仏壇には大日如来が本尊となるが
真言宗寺院の場合、大日如来を祀ってあるにしてもご本尊としているところは多くない。
■根本大堂 (高さ48m 幅30m)
887年 空海が真言密教の根本道場として最初に建てたもので、日本初の多宝塔であった。
弘法大師入定後に完成した。
1937年 雷による5度の焼失の後に再建
とてつもなく大きなお堂で、壇上伽藍の代表的な建物になる。
内部は大日如来を中心に、立体曼荼羅が広がっている。
<金胎不二>
金剛界曼荼羅と胎蔵界曼荼羅はどちらも大日如来を中心に描かれているが
諸尊の配置や、結んでいる印相が異なる。
金剛界曼荼羅の大日如来は智拳印を結ぶ。(忍者でお馴染みのポーズ。在家の仏壇もこれ)
胎蔵界曼荼羅の大日如来は禅定印を結ぶ。
周囲の諸仏は金剛界曼荼羅の配置で、
大日如来は胎蔵界曼荼羅の禅定印をとらせ、両曼荼羅は一つであることを示した。
北 不空成就如来
西 阿弥陀如来 大日如来(禅定印) 東 阿閦如来
南 宝生如来
孔雀堂(1983年再建) 准胝堂(1883年再建) 御影堂と三胡の松(1847年再建)
西塔(1834年再建) 山王院(1594年再建)
六角経蔵(1934年再建)
戦火を免れてきた高野山であるが
ほとんどの建物が雷による火災で焼失している。
陽が暮れたところで、
根本大塔でプロジェクションマッピングのイベントの見学をした。
最初は宗教施設にレーザーをあてるなんてと思っていたが
兵庫青年教師会による声明と理趣経に合わせた独特な映像世界に惹きこまれた。
密教が理屈ではなく感じることを重視するならば、これは現代の曼荼羅と言えるかもしれない。
密教美術・霊宝館編へ続く
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和歌山
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【高野山・奥の院】 生き続ける弘法大師 / 和歌山県高野山
2015.06.18 Thursday
【高野山・金剛峰寺】の続き
金剛峯寺の参拝を済ませ奥の院へ向かう。
少し距離が離れているが、
高野山を走る循環バスに乗れば移動は楽だ。
弘法大師が礼拝者を出迎えているという、
一の橋近くの奥の院口停で降りる。
ここから御廟までは約2kmの道のり。
両側には戦国大名の供養塔が並んでいる。
武田信玄と上杉謙信が川中島で対峙したように、
奥の院の参道を挟み比較的近い場所で墓所が向き合っているのが面白い。
ただし儀の人、謙信のそれは特別にお堂が建てられ祀られていた。
明智光秀と石田三成の墓所が並ぶのは、勝者の意向が働いているに違いない。
私が戦国武将の中で特に惹かれるのがこの明智光秀だ。
ミステリアスな彼の行動と滅びの美学が歴史好きにはたまらない。
織田信長の墓所が大師御廟から近い場所にあり、
その隣に豊臣秀吉が並んでいるのは、高野山と秀吉の強い繋がりを感じさせる。
■汗かき地蔵
中の橋近くの地蔵堂。
こちらのお地蔵様は世の中の人びとの苦しみを一身にうけ、いつも汗をかいているといわれる。
お堂横に「姿見の井戸」があり上から覗いて自分の顔が映らなければ3年以内に死ぬと伝わる。
■みろく石
祠の中に納められた赤子ほどある大きな石を
片手で持ち上げると弥勒菩薩の御利益があるといわれている。
このみろく石をモチーフにしたお菓子→☆かさ国のみろく石
<生き続ける弘法大師空海>
弘法大師は835年に61歳でその生涯を終えるが
信仰上はこの御廟に入定し、今なお生き続けて我々を見守っている。
その大師のために1200年間欠かさず、早朝5時半と10時半に食事が配膳されるのだ。
私が奥の院で見学したかったのはこの光景である。
■嘗試(あじみ)地蔵
御供所で作られた料理は、まずこちらのお地蔵様が味見をすることになっている。
どのような料理なのかは分からないが
戒律を守りつつも、意外に今風なものが供されることもあるらしい。
維那(ゆいな)と呼ばれる僧が先導し、仕侍僧によって運ばれる。
御廟の弘法大師がどのような姿なのかは、この維那さんしか見ることはできず、
また死ぬまで他言無用となっているそうだ。
御廟の橋を渡り、聖域に入る。ここからは撮影禁止となっている。
階段を上り燈籠堂へ。
燈籠堂の天井には何百もの燈籠が灯され、とても厳かで幽玄である。
貧女の一灯のお話→☆
中央壇上には弘法大師像の厨子が祀られている。
食事が供えられている間、
先ほどの維那さんがお経なのか陀羅尼なのか、小声で黙々と唱えられていた。
20〜30分くらいで献膳が終わると、また元の御供所へ戻っていかれた。
燈籠堂には地下があり、見学できるようになっている。
これまたいくつもの数の小さな大師像が奉納者の名前とともに祀られてあった。
燈籠堂の裏手が御廟である。
線香を焚き蝋燭に火をつけ、お大師様の前で皆一心に手を合わせ祈りをささげる。
私も般若心経を唱え、お守りをいただき燈籠堂を後にした。
奥の院のご朱印を書いてもらおうと御朱印所へ。
奥の院のご朱印は四国八十八箇所の結願としていただくそうで、
私が廻っている西国観音霊場の番外ではないことをはじめて知る。
しかし番外のページがかなり残っているのなら大丈夫だと説明を受け、書いていただいた。
昼時になったので
奥の院近くで食事をとることにしたが、
お店が少ない。
どこも長い行列ができていた。。
【高野山・壇上伽藍】編に続く
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和歌山
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【高野山・金剛峯寺】秘仏の弘法大師座像 / 和歌山県高野山
2015.06.11 Thursday
今年は高野山開創1200年めという重要な年にあたり、
高野山では4月2日〜5月21日まで様々な記念法会が執行されていた。
私がお世話になっている菩提寺が真言宗高野山派であること、
また普段は厨子に閉ざされている秘仏もご開帳されると聞き、
この機会を逃すことはできないという思いで、数年ぶりに和歌山へ訪れてみた。
遠方の寺院参詣は早朝からスタートすることが肝要と
信州善光寺参詣の時と同様に、夜中に家を出て高速を走らせた。
真夜中、濃霧漂う漆黒の山道を延々と上っていくと
突如として目の前に朱色の大門が現れた。仏都の玄関口である。
(1705年再建・重文・世界遺産)
■山号 高野山
■
高野山真言宗総本山
■
高野山金剛峯寺のHP→
■ご本尊 薬師如来
■開基
空海
816年
嵯峨天皇
から高野山を賜る
真然
(空海の甥)
■伝承
空海が唐から帰国する際、日本における寺院建立にふさわしい場所はどこか
民州の港から密教法具の三鈷杵(さんこしょ)を東の空に向けて投げた。
帰国後、その三鈷杵を探し求めているうちに、
大和国宇智郡(奈良県五條市)で白黒二匹の犬を連れた狩人(
狩場明神
)に出会った。
狩人は犬を放ち、それについていくようにと空海に告げた。
言われるまま犬についていくと、
今度は紀伊国天野(和歌山県かつらぎ町)で土地の神である
丹生明神
が現れ
松の木の枝に三鈷杵がかかっていたのを見つける。
空海は丹生明神から高野山を譲り受け、伽藍を建立することになった。
■空海入定後
東寺との確執(本末争い)で負ける
落雷火災により荒廃していく
■中興 定誉 1016年
1023年
藤原道長
が参詣
平安末期
白河上皇、鳥羽上皇
が相次いで参詣し次第に栄えていく。
戦国時代 織田信長と対立するも、本能寺の変で難を逃れる。
江戸時代 徳川家の菩提所となり、諸大名が競って寄進し子院(僧坊)を建てる。
金剛峯寺の名称は
弘法大師が金剛峯楼閣一切瑜伽瑜祗経の深意を象徴するものとして命名されたもので
高野山一山の総称であった。
この寺は文禄二年(1593)豊臣秀吉が亡母の菩提のために建立、
更に文久三年(1863)再建されたのが現在の建物である。
明治二年金剛峰寺と改称されるまで青巖寺と呼ばれていた。
大主殿のほか、別殿・新別殿・奥伝・新書院・茶室・阿字観道場・経蔵・鐘楼・後庭に
伝燈国師廟・護摩堂等が並び輪奐の美をなしている。
現在の金剛峰寺は一つの独立した形をなし座主の住寺であるが、
高野山全体を総括する伝統はそのままここに残され、
又、高野山真言宗の総本山として一切の宗務を司る宗務所があって
全国及び海外の末寺四千ヵ所の行政を統べ、壱千万大師信徒の信仰の中心となっている。
(パンフレットより引用)
この奥にある持仏間で、秘仏の弘法大師座像が16年ぶりにご開帳された。
廊下側から仏間を挟んだ奥の、薄暗い祭壇上ではっきりとは見えにくいが
黒いシルエットの大師像と右手に握られた金色に輝く五鈷杵が見えた。
大玄関
豊臣秀次が自害した柳の間、枯山水の蟠龍庭も見どころはあるが
私が一番興味深かったのは台所であった。
高野山の祭壇は独特なものがある。
仏花の高野槇もそうだが、
大根・薩摩芋・人参を斜めに切った供物は、他の寺院で見かけたことがない。
これはどういう意味があって、いつ頃からこのスタイルになったのだろうか?
(写真はHPより)
小玄関側
金剛峯寺は西国観音霊場の番外になっている。
ご朱印をいただいたところで時刻は9時すぎ。
高野山に来たからにはどうしても見学したいものがあり、奥の院へと向かった。
続けて奥の院編に続く。
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和歌山
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【祖父江善光寺東海別院】 必見の極楽浄土のジオラマ / 愛知県祖父江
2015.06.04 Thursday
■山号 双蓮院
■開基 旭住上人 1910年
■無宗派
岐阜善光寺から甚目寺観音へ善光寺如来が遷座する折に祖父江に立ち寄っている。
時代を経て
明治42と43年に続けてこの地で双頭の蓮の花が咲いたことを縁とし、
善光寺(大勧進)から善光寺如来を勧請し東海別院を創建する。
■
祖父江善光寺のHP→
■
Facebook→
根福寺(天台宗)
創建年が明治終期と比較的新しいお寺であるが、
本堂は信州善光寺と同じ鐘木造で、間口14間奥行20間と3分の2のスケールになっている。
お堂内部も、今回廻った東海地方の善光寺の中では最も信州善光寺の雰囲気に近い。
ご本尊様に挨拶し、ご印紋頂戴をしていただき、最後にお戒壇廻りをしたが
このお戒壇がとても特徴あるものとなっている。
真っ暗闇なのは他のお戒壇と同じだが、
(今回も先を歩いていた女性が暗所に耐えられずに引き返してしまった)
突然、途中から壁が蛍光タイルで光るスペーシーな空間になる。
なんとご本尊様の真下には、極楽浄土を模したジオラマが広がっているのだ。
ここは是非、みうらじゅん氏に廻ってもらいたいお戒壇である。
意外な展開に皆手を合わせつつ見入ってしまうのだが
後ろがつかえてしまうので、程々にして出口へと向かった。
さて、この翌日の5月31日に
数えで7年に1度(丑・未年の6年毎)の善光寺ご開帳も結願大法要が営まれて終了となった。
初めての善光寺詣りであったが、
宗教や宗派・教義の違いを超えた存在にある善光寺の偉大さを改めて感じた。
6年後は今回巡れなかった甲斐善光寺をも含めて、再度善光寺如楽様を詣でてみたい。
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愛知
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【岐阜善光寺(安乗院)】 信長が絶対秘仏を迎えたお寺 / 岐阜県岐阜市
2015.06.02 Tuesday
■山号 愛護山
■
真言宗醍醐寺派
■ご本尊 善光寺如来
■開基 織田秀信
■岐阜善光寺のHP→
■Facebook→
戦国時代 1582年 織田信長が甲斐善光寺から善光寺如来を岐阜の伊那波神社の側に移す。
1582年 本能寺の変後、織田信雄が善光寺如来を愛知県の甚目寺観音に移す。
1592-1600年 信長の孫の秀信が伊那波善光寺堂を建て善光寺如来の分身を祀る。
江戸初期 善光寺安乗院に改称
明治時代 伊那波神社境内の満願寺と交代でご本尊をお世話をするが、
神仏分離令により満願寺が廃寺となって以後は安乗寺が単独で管理。
1891年 濃尾地震により本堂全焼。善光寺如来の光背焼失。
1912年 再建
本堂 不動堂
関善光寺に続いて、昼食をはさみ岐阜善光寺へと向かった。到着は1時すぎ。
善光寺を冠するお寺は天台宗が多いが、岐阜善光寺は珍しく
真言宗
である。
実は以前にも訪れたことがあるのだが
その時にはなかった不動堂と屋外トイレが駐車場脇にできていたので驚く。
本堂に入り、外陣から手を合わせるも
厨子の戸帳にシースルー状の緞帳がつけられており、はっきりとご本尊のお顔を拝せない。
聞けば、2時間毎に行われる法要時に緞帳が開かれるとのこと。
せっかくのご開帳なので、3時の法要に参加させていただくことにした。
前住職が導師となり法要が始まると、半透明の緞帳が上がった。
ご住職が太鼓を打ち鳴らし、皆で般若心経を唱える。
法要後は前住職の法話で、岐阜善光寺の縁起を教えていただく。
また、観光寺院になることへの抵抗から6年前までは本堂に参拝者を入れてこなかったが
現住職の勧めや、熱心な信者さん達の姿を見て内陣参拝をすることになったのだという。
絶対秘仏が祀られたお寺を詣でることは意義深いことであるので、とても有り難い。
法話の後、内陣に入りご本尊様の前で手を合わせる。
よく見れば、木製の三尊像は時代を感じさせる素朴な仏様であったが、
光背は金銅製で鈍く光を放っている。
これは明治の濃尾地震で火事になり、慌てて三尊像のみを厨子から引き抜いて外へ持ち出したが、
重たい光背は持ち出せずに燃えてしまい、後世になって作り直されたらしい。
法要の待ち時間に、すぐ隣の伊那波神社を詣でてみた。
こちらの神社はとても清々しく、階段を上る程に気が自分に当たってくるのが分かる。
地元ではパワースポットになっているのだそうだ。
参拝後に御朱印をいただいた。
■美味しいものガイド
・
吉祥庵☞
・
そば切り すず野☞
・
川原町屋☞
・
シェルパコーヒー☞
・
プレリュード福光店☞
・
ダジェンナーロ☞
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岐阜
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【祖父江善光寺東海別院】 必見の極楽浄土のジオラマ / 愛知県稲沢市
2015.06.02 Tuesday
■山号 双蓮院
■開基 旭住上人 1910年
■無宗派
岐阜善光寺から甚目寺観音へ善光寺如来が遷座する折に祖父江に立ち寄っている。
時代を経て
明治42と43年に続けてこの地で双頭の蓮の花が咲いたことを縁とし、
善光寺(大勧進)から善光寺如来を勧請し東海別院を創建する。
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祖父江善光寺のHP→
■
Facebook→
根福寺(天台宗)
創建年が明治終期と比較的新しいお寺であるが、
本堂は信州善光寺と同じ鐘木造で、間口14間奥行20間と3分の2のスケールになっている。
お堂内部も、今回廻った東海地方の善光寺の中では最も信州善光寺の雰囲気に近い。
ご本尊様に挨拶し、ご印紋頂戴をしていただき、最後にお戒壇廻りをしたが
このお戒壇がとても特徴あるものとなっている。
真っ暗闇なのは他のお戒壇と同じだが、
(今回も先を歩いていた女性が暗所に耐えられずに引き返してしまった)
突然、途中から壁が蛍光タイルで光るスペーシーな空間になる。
なんとご本尊様の真下には、極楽浄土を模したジオラマが広がっているのだ。
ここは是非、みうらじゅん氏に廻ってもらいたいお戒壇である。
意外な展開に皆手を合わせつつ見入ってしまうのだが
後ろがつかえてしまうので、程々にして出口へと向かった。
さて、この翌日の5月31日に
数えで7年に1度(丑・未年の6年毎)の善光寺ご開帳も結願大法要が営まれて終了となった。
初めての善光寺詣りであったが、
宗教や宗派・教義の違いを超えた存在にある善光寺の偉大さを改めて感じた。
6年後は今回巡れなかった甲斐善光寺をも含めて、再度善光寺如楽様を詣でてみたい。
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愛知
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JR東海 そうだ 京都、行こう。
西国ツイート
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妙法蓮華経 観世音菩薩普門品 第二十五
佐々木閑 仏教講義 7「阿含経の教え 3,その20」(「仏教哲学の世界観」第10シリーズ)
【片っ端から喫茶店】85歳・名物店主が作るフルーツサンド
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【一乗寺】白鳳期の秘仏聖観音像ご開帳 / 兵庫県加西市
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junrei3159 (11/19)
【播州清水寺】根本中堂の秘仏十一面観音像、30年ぶりのご開帳 / 兵庫県加東市
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junrei3159 (11/19)
【一乗寺】白鳳期の秘仏聖観音像ご開帳 / 兵庫県加西市
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yuki (11/18)
【播州清水寺】根本中堂の秘仏十一面観音像、30年ぶりのご開帳 / 兵庫県加東市
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yuki (11/18)
【飛龍神社】 那智大滝がご神体 / 和歌山県那智勝浦
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junrei3159 (11/01)
【青岸渡寺】 西国三十三所第1番 秘仏如意輪観音像ご開帳 / 和歌山県那智勝浦
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junrei3159 (11/01)
【飛龍神社】 那智大滝がご神体 / 和歌山県那智勝浦
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yuki (10/31)
【青岸渡寺】 西国三十三所第1番 秘仏如意輪観音像ご開帳 / 和歌山県那智勝浦
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yuki (10/31)
聖林寺にて「あゆみ観音さま」鑿入れ式 ・ 被災地の方々へ
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junrei3159 (04/03)
聖林寺にて「あゆみ観音さま」鑿入れ式 ・ 被災地の方々へ
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