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901年 菅原道真が藤原時平らの陰謀により大宰府に左遷される
903年 死去
905年 安楽寺の境内に味酒安行が廟を建立
919年 祟りを恐れた醍醐天皇が藤原仲平に社殿を造営させる(安楽寺天満宮)
1480年頃 学問の神様として信仰されるようになる
博多では晴れていたのに 西鉄の太宰府駅へ降りたとたん、豪雨に襲われる。
晴れ間もみえるも、なかなか頭上から雨雲が遠のいていかない。
さらに中国か台湾の団体観光客と遭遇。
天満宮の中は中国語が飛び交い、まるで中国の観光地に来たような雰囲気であった。
日本に来るくらいなのだから親日家なのは分かるが、
社殿で御祈祷中なのに大声で喋ったり、傘をさしたまま体当たりしてくるなど
文化の違いなのか、彼らの行動にはいささか辟易とした。
参拝後は、参道にある隈研吾氏設計のスタバで一服。和菓子店にも寄ってみた。
梅が枝餅の店がたくさんあるが、味は各店違うそうだ。
天満宮御用達店の梅園さんでは、
松本清張や川端康成などが好んだ「宝満山」を購入。
女将と若女将に観世音寺や戒壇院についても教えていただけた。
■美味しものガイド
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1587年 豊臣秀吉が島津との戦いで荒廃した博多を復興。3宮をまとめた。
この時の区画割りが、追い山の各流につながる。
櫛田神社に着いたとたん、
バケツをひっくり返したような雨に襲われる。
今回の西国巡礼は、集中豪雨に悩まされる旅となった。
飾り山については
それぞれ神話や昔話、アニメ等をテーマにし、錦絵を立体化させたような感じで
伝統を重んじた京都の祗園祭りの鉾とは違い、毎年作り替えられている。
2008年の櫛田入りの映像だが 各流がタイムを競っているのがよく分かる。
これは1687年に、休憩していた土居流が石堂流に追い越され
抜きつ抜かれつのマッチレースとなったことが町人に受けたのが始まりだという。
追い山はもちろん見れなかったが
博多っ子の山笠に懸ける熱い思いは、滞在中ひしひしと感じられた。
この祭りが終わるまで男たちは仕事もそっちのけだという。
夜中から朝方にかけての追い山も 機会があれば直に肌で感じ取ってみたいものだ。
■美味しいものガイド
・石村萬盛堂本店☞
・鈴懸本店☞
・松屋菓子舗☞
・稚加榮本店☞
・一蘭 天神西通り店☞
・もつ幸☞
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■祭神 菅原道真公 天穂日命(アメノホヒ) 覚寿尼(道真の叔母)
菅原・土師氏の祖先の野見宿禰の所領地
土師神社…菅原氏の祖先の天穂日命を祀る
↓
仏教伝来 土師寺
↓
平安時代 道明寺(947年)
↓
明治時代 神仏分離により道明寺と分離する
■菅公遺品(国宝)
神門 注連柱 能楽殿 撫で牛
道明寺で観音様に手を合わせた後、隣の道明寺天満宮を参拝した。
道明寺からの流れで参拝する人以外、人影もまばらでひっそりとしていたが
梅の時期や天神祭の時はまた違った印象を受けるのであろう。
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■蓮土山
■真言宗御室派
■開基 土師氏(菅原道真の祖先)6世紀末
土師氏が聖徳太子に土地を寄進。土師寺が建てられ、後に道明寺となる。
■ご本尊 十一面観音菩薩立像(国宝・平安)伝・菅原道真作 98cm
カヤ一木造
1575年 兵火で焼失
1872年 神仏分離令で道明寺天満宮から分離
・道明寺の道明は菅原道真の号
・菅原伝授手習鑑
葛井寺に続き、隣町の道明寺へ向かう。
ご本尊様のご開帳は毎月18日と25日の2回。
数少ない国宝の十一面観音像の礼拝をとても楽しみにして伺った。
思ってたいたよりも小ぶりなご本尊様であったが、
漆黒の躯体にふっくらとした頬、流れるような天衣が特徴的であった。
甘党の私は、道明寺といえば饅頭の道明寺を思い出す。
お寺周辺に和菓子屋さんがあれば嬉しかったのだが…。
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