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■青葉山
■真言宗醍醐派
■ご本尊 馬頭観世音菩薩坐像(秘仏)
■開基 威光上人 708年
■ご詠歌 「そのかみは いく世経ぬらん 便りおば 千歳もこゝに まつのをのてら」
・絹本著色普賢延命像(国宝・写真中段左)…美福門院の持念仏
・卯月八日仏舞 重要無形民族文化財
708年 中国から渡来した威光上人が、故郷の馬耳山に似たこの地を霊場に定め
松の大木の下で法華経を唱えたところ馬頭観音を感得した。
上人は自ら像を掘り、草庵を結んで安置した。
平安時代…鳥羽天皇の行幸・勅願寺(1119年)
戦国時代…度重なる兵火で焼失
江戸時代…細川幽玄、京極家の庇護
金剛院の次に向かった松尾寺。
28番の成相寺のような急坂ではないが、延々と若狭冨士を登る。
石段から見上げる山門の景色は少し総持寺を思わせる。
色とりどりの牡丹の花が出迎えてくれた。
本堂ではお前立の馬頭観音像が怒りの表情で鎮座していた。
地蔵菩薩坐像と阿弥陀如来坐像が脇侍となっているが
如来像を脇侍とするのは相当珍しいのではないか。
手を合わせて見上げると、馬頭観音の鋭い視線と目が合う。
表情や躯体表現の豊かさからまるで生きているようだ。
西国観音霊場で馬頭観音がご本尊になっているのは松尾寺だけ。
同じく馬頭観音で有名な4番の施福寺のご本尊は弥勒菩薩であった。
それにしても、
若狭一帯は馬頭観音を祀るお寺が多いのはなぜだろうか。
いずれ中山寺、居馬寺の馬頭様も礼拝してみたい。
■美味しいものガイド
・流々亭☞
・レストランおこじょ☞
・花番地☞
・御菓子処大次郎☞
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(動画はInishie Japan様より拝借)
西国観音霊場巡りも残すところあと三か寺となり、
GW中に29番の松尾寺に向けて舞鶴へ出発。
その途中、関西花の寺第3番の「金剛院」に立ち寄ってみた。
■鹿原山
■真言宗東寺派
■ご本尊 波切不動明王
■開基 高岳親王(眞如)(829年)
■三島由紀夫「金閣寺」の舞台
・810年 薬子の変
嵯峨天皇と対立した皇太子の高岳親王(天皇の甥)は職を廃される。
・822年 高岳親王は出家して眞如と名乗る。後に空海の十大弟子の一人となる。
・829年 高岳親王(眞如)が高野山から弁財天を勧請。
眞如はその後、
864年に入唐。
865年にさらに天竺へ向かうが、途中の羅越国(マレーシア)で消息を絶つ。
・1082年 白河天皇の病気平癒祈願のため若狭から不動明王を勧請する。
全快した白河天皇は三重塔を建立して眞如を追善供養し、
勅願寺として「慈恩寺」の寺号を下賜する。
・1146年 美福門院により再再興。
山門 千年ガヤ 三重塔
本堂に繋がる雲仙閣 弁財天堂と鐘楼 不動滝
ご本尊の波切不動尊といえば高野山の南院を思いつく。
てっきり弁財天と同じく高野山から勧請されたのかと思ったが違うらしい。
また元々のご本尊は阿弥陀如来像であったということと
親王の法名が「眞如」からして、最初は浄土宗に帰依していたのだろうか?
三重塔の扉が開かれ、祀られてる眞如像を拝むことができた。(写真中段上)
政変に巻き込まれ、世俗を離れ仏道を歩むこととなった高岳親王。
覚悟を決めた入唐、遠方での最期を思うと心が切なくなってくる。
三重塔から本堂までの山腹の楓は、江戸時代に細川幽斎が植樹したものだという。
秋になって真っ赤に燃える山肌を眞如はどのような気持ちで見ているのだろうか。
■美味しいものガイド
・ほのぼの屋☞
・卑弥呼☞
・レストランおこじょ☞
・トマト&オニオン創業店☞
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