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西国観音霊場巡りも、残すは最終札所の谷汲寺と一番札所の青岸渡寺のみとなる。
ご本尊のご開帳時期優先でお寺巡りをしてきた結果、一番札所が後回しになってしまった。
その青岸渡寺のご開帳は正月中と8月17日のみ。
この機会を逃すと満願が来年になってしまいそうなので決行することにした。
その道中、熊野三山を詣でることとし
名古屋を早朝に発つも、当日は熊野の大花火大会と重なり高速は朝から大渋滞。。
海岸沿いの一本道に大勢の車が集まったため、熊野入りまで数時間遅れとなってしまった(涙
それでも先ずは熊野本宮大社へ。
■縁起 天火明命(あめのほあかりのみこと)熊野国造家の祖神
天火明命の息子の高倉下(たかくらじ)は神武天皇に天剣「布都御魂」を献ずる
高御産巣日神(たかみむすひのかみ)は天より八咫烏を遣わし、神武天皇を大和まで導く
■主祭神 家都美御子大神(けつみみこのおおかみ)=素戔嗚尊
・上四社 第一殿 熊野牟須美大神(千手観音)
第二殿 速玉之男神(薬師如来)
第三殿 家都美御子大神(阿弥陀如来)
第四殿 天照大神(十一面観音)
境内の階段の途中にある祓戸大神に参り身を清める
拝殿 名物めはり寿司
615年 第十代崇神天皇の時代に大斎原に創建(皇年代略記)
旧社地大斎原の櫟いちいの巨木に、三体の月が降臨
「我は證誠大権現(家都美御子大神=素戔嗚尊)であり、
両側の月は両所権現(熊野夫須美大神・速玉之男大神)である。社殿を創って齋き祀れ」
天火明命の孫に当たる熊野連(くまののむらじ)に神勅がくだる。
奈良時代 仏教の取り入れ
平安時代 熊野権現と称し神々に仏名を配す
宇多法皇に始まる歴代法皇・上皇・女院の熊野御幸(藤原定家『明月記』)
室町時代 庶民の間にも熊野信仰が広がる(蟻の熊野詣)
1871年 熊野坐神社(くまのにいますじんじゃ)国幣中社に列格
1889年 大洪水で中社・下社が流される。現在は旧社地大斎原に石祠として祀られている。
1915年 官幣大社に昇格
大斎原
写真は拝殿までで、その先の御社殿(重文)は撮影禁止となってる。
御社殿は第一殿から第四殿まで並んでいるが、参拝の順序は三、二、一、四殿の順となるので注意。
このところ神社に参拝する度に土砂降りに見舞われているので天気が心配であった。
当日も小雨模様であったが神社に近づくにつれて晴れ間が見えてきた。
不思議に神社周辺だけがポッカリと天気になっている感じで
熊野の神々に受け入れられた感じがして清々しい気持ちになる。
参拝の後は境内にある茶屋で一服。名物のめはり寿司をいただく。
続けて速玉大社へ向かう帰り道、ずっとカラスが後をつけるように頭上を飛んでいた。
熊野本宮大社とはなんとなくご縁がありそうな気がする。
■美味しいものガイド
・茶房 珍重庵 本宮店☞
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