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・創建 128年
・主祭神 天照大神・高倉下命
熊野速玉大社を後にし、摂社である元宮の神倉神社へと向かった。
神倉神社には熊野の神々が最初に降臨したと伝わるゴトビキ岩が祀られている。
これが小高い山の上にあるとは知らなかったので
538段の石階段を目の前にして絶句してしまった。
それもただの階段ではなく、大小の石が急勾配に積まれていて
しがみつく様にして上らないといけない危ない階段であった。
足を置くスペースも狭く、天面が下側を向いて滑りやすく
下りる時はジグザグにスイッチバックをしながらでないと命の危険を感じるほど。
この急階段は源頼朝の寄進だという。
ヘトヘトになりようやく頂上へたどり着くと大きな巨石が出迎えてくれた。
ゴトビキとはヒキガエルの意味で、確かに可愛らしい形でもある。
ご神体なれど手で触れることができるので、パワースポットとして人気があるようだ。
もともとは清水寺のような舞台造りだったが、明治時代の水害で壊れてしまう。
明治政府が推進した廃仏毀釈により、仏教の信仰を捨てるように迫れたが
本地垂迹(神は仏の仮の姿であるという考え)などの
神仏融合の概念を捨てなかった熊野三山は政府から冷遇され
ゴトビキ岩の舞台造りが再建されることはなかった。
■蘇りの信仰と現在・過去・未来
「日本書記」にイザナミノミコトが熊野に葬られたという記述があることから
熊野は黄泉の国とされ、三山を詣でて帰ってくることで蘇るという信仰が生まれた。
熊野三山各大社の本地仏は
熊野本宮大社が「阿弥陀如来」で自分の未来を託し
熊野速玉大社が「薬師如来」で自分の過去を振り返り
熊野那智大社が「千手観音」で現在の自分を確認する
熊野三山を巡ることで人生が蘇ったことになる。
三山の根本でもある神倉神社を詣でれば、全てのご利益にあずかることができる。
■美味しいものガイド
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■主祭神 熊野速玉大神=伊邪那岐神(=速玉之男)
熊野夫須美大神(くまのふすみのおおかみ)=伊邪那美神
・上四社 第一殿 熊野夫須美大神(千手観音)
第二殿 熊野速玉大神(薬師如来)
第三殿 家津美御子大神(阿弥陀如来)
第四殿 天照大神(十一面観音)と高倉下命
■熊野権現御垂迹縁起
神代の頃、熊野の神々はまず初めに神倉山のゴトビキ岩に降臨した。
その後、景行天皇五十八年、
現在の社地に真新しい宮を造営してお遷りになり、「新宮」と号した。
1871年 県社に列格
1883年 打ち上げ花火が原因で社殿が全焼
1915年 官幣大社に昇格
1967年 社殿を再建
2004年 ユネスコ世界遺産登録
八咫烏神社
ご神木のナギ(写真中段) 参詣曼荼羅 手水舎と狛犬
熊野本宮大社の参詣後、新宮川を沿って熊野速玉大社へ向かった。
エメラルドブルーに輝く新宮川は怖いほど美しく、まさに神宿りを感じさせる。
境内は思ったよりコンパクトで、社殿は昭和時代に再建されたものであるが
ご神木のナギは熊野権現の象徴とされ、古からの信仰の歴史を物語っている。
ナギの葉を懐に納めてお参りすることが習わしとなっている。
私事であるが、母方の祖父が新宮出身であることもあって
速玉神社に参詣できたことをとても感慨深く思う。
私が生まれた時にはもう祖父は他界していたので、どのような人柄であったかは話にしかわからないが
この地に来ることで祖父の生き様やルーツに触れることができたような気がする。
さて、新宮に来たからには元宮である神倉神社に参らねば方詣りになってしまう。
熊野三山巡りの時間が押してくる中、コトビキ岩へ向かった。
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