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吉野から戻った夜は大阪梅田に新しくできたホテルに宿泊し、
翌朝チェックアウト前に太融寺へ礼拝することにした。
梅田駅から300m、繁華街のど真ん中という立地。
近畿不動尊霊場の中で最も交通の便の良いお寺ではないだろうか?
周囲の喧騒に囲まれひっそりと佇んでいるが
こちらは嵯峨天皇の勅願で空海が建てた由緒あるお寺だ
ご本尊の千手千眼観音像は嵯峨天皇の念持仏であったという。
本堂で手を合わせた後、赤い宝塔の真下にある一願堂へ。
たくさんの提灯に囲まれるようにお不動様が祀られていた。
戦後に再刻されたお姿だが、一願不動尊として庶民に親しまれている。
心経を唱えご朱印と水晶玉をいただいた。
●美味しいものガイド
・魚心 梅田店☞
・お好み焼き美舟☞
・ねぎ焼やまもと 梅田エスト店☞
・ルージュ・エ・ブラン コウハク☞
・薪焼き肉バル Crackle☞
・シロマルベース 梅田店☞
・釜たけ流 うめだ製麺所☞
・ロンドンティールーム 阪急百貨店メンズ館店☞
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金峯山寺の門前で昼食後、刻々と迫る帰路の電車時間に追われながら如意輪寺へ。
ここは不動尊霊場となっており吉野礼拝の大きな目的だった。
お寺は金峯山寺から谷を挟んだ反対側にあり、直線距離だと近いのだがそうそう簡単には着けない。
県道をぐるりと回るコースは時間がかかるため、谷を突き抜ける山道を歩くことにした。
一応ハイキングコースとして整備されているものの、
脳天大神の450段ある階段を往復した後なのでこれが非常に辛かった。
如意輪堂と難切不動尊に手を合わせる。
こちらのお不動様は石造のものとして日本最大の大きさになる。
60年前まで吉野の道中で祀られていたが、信者に如意輪寺に行きたいとお告げをされ移された。
鴨居の下からギョロリと目を光らせているように見えるお不動さんは、
交通事故やあらゆる災難を切ってくださるという。
どっしりとした石造の仏様はそれだけで頼りがいがある。
如意輪寺は小さなお寺だが、後醍醐天皇陵があり歴史ロマンに溢れている。
足利尊氏に追われた後醍醐天皇は吉野で南朝を開くも、ついぞ還幸すること叶わず
左手に法華経、右手に剣を持ち、都を睨み付けるようにして崩御された。
陵墓は吉野から都を見下ろし北向きに建てられている。
毎年秋には後醍醐天皇御霊殿が特別公開される。
楠木正成の嫡男正行(まさつら)は河内を出て後村上天皇に謁見、後醍醐天皇陵を参拝。
矢じりで如意輪堂の扉に辞世の句を書いて四条畷へ出陣した。
「かえらじと かねておもへば梓弓 なき数に入る 名をぞとどむる」
これを討った尊氏の側近高師直は吉野へ攻め入り、蔵王堂や行宮(あんぐう)を焼き尽くした。
如意輪観音様と難切不動尊のご朱印をいただきお寺を後にした。
帰りの電車に乗り遅れる恐れがあったので
谷底を走る山道を転げ落ちるようにして吉野駅へと向かったのだった。
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吉野の金峯山寺に訪れる度に
気になりつつお参りできずにいたのが塔頭の脳天大神龍王院である。
蔵王堂の西側から450段の階段を下った谷底の沢にあり、
観光目的の人はまず行かないであろう場所にあるためだ。
金峯山寺初代管長の五條覚澄大僧正が修行の場所を探していると、
頭を割られた蛇に遭遇した。哀れに思い丁寧に経文を唱えて葬ったところ
夢枕に蛇が現れ、「頭の守護神として祀られたし」という霊言を聞く。
同時期に蔵王権現様からも
「諸法神事妙行得菩薩(しょほうしんじみょうぎょうとくぼだい)」という御霊言を授かった。
つまり、頭の割れた蛇は蔵王権現の変化身だったのだ。
その後昭和26年に現在の場所にお祀りされた。
頭の病気や学業試験にご利益があるといわれ、お百度参りをする人も多い。
鳥居や拝殿の鈴など神社の形態であるが
金峯山寺の塔頭であるため柏手は打たずにお参りをした。
ご朱印をいただいていると修験者姿のご住職の勤行がはじまった。
観音経偈と心経であったかと思う。やはり一般的な神社とは違うのだ。
休憩所でお供えのお下がりで作ったゆで卵を接待していただけたのが有難い。
すっかり階段の疲れが癒えたところで帰ろうとすると
山の斜面から一匹の蛙が現れ、私の足に纏わりつき沢へと飛び込んでいった。
お寺を巡ると、神仏の使いや化身とされる生き物にコンタクトをとられることがよくある。
もしや?と思い見渡すと、こちらでは狛犬の代わりに狛蛙が鎮座していた。
金峯山寺の黒門前で目の前を大きな蛇が横切って行ったのも、きっと私を出迎えてくれていたのに違いない。
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先月、大阪方面へ行く機会に恵まれ近鉄で奈良吉野まで礼拝に向かうことにした。
思えば当ブログの初回が金峯山寺であり、かれこれ6年ぶりの訪問になる。
平日だったこともあってか吉野の山は人も少なく、金峯山寺はひっそりと佇んでいた。
蔵王堂で礼拝。数年前に訪れた時はご開帳中で内陣に入らせていただいたが今回は外陣まで。
三体のご本尊様の前には大きな戸帳が掛けられているも、嬉しいことに厨子の扉は開かれていた。
般若心境を唱えると緩やかに風がお堂を吹き抜け、
まるでご権現様が深呼吸をしているかのように戸帳が大きく前後に揺れるのだった。
俗世間との結界を示す銅鳥居(重文) 改修中の仁王門(国宝)
蔵王堂(国宝)
観音堂 愛染堂
後に調べて分かったことだが、
中興の祖が醍醐寺を起こした聖宝(理源大師)であり
5月に訪れたばかりの醍醐寺と深い縁で繋がっていることに驚いた。
またどちらの寺も桜の名所というのは面白い。
●美味しいものガイド
・中井春風堂☞
・吉野葛 八十吉☞
・芳魂庵☞
・ひょうたろう☞
・豆富茶屋 林☞
・柿の葉寿司 やっこ☞
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三宝院表書院(安土桃山・国宝)
三井寺と圓満院で礼拝後、
西国三十三所と近畿不動霊場の札所となっている醍醐寺へ向かった。
醍醐寺では札所本尊の准胝観音像がご開帳されていたのだ。
先ずは総門からほど近い三宝院の表書院(安土桃山・国宝)へ。
寝殿造の書院から秀吉が指揮し作庭した庭園を愛でる。
本堂本尊の快慶が作った弥勒菩薩坐像(鎌倉・重文)は非公開で特別な日にしか拝することはできない。
三宝院唐門(安土桃山・国宝)
仁王門 金堂 不動堂
五重塔
観音堂
観音堂に入ると祭壇中央に安置された小さな厨子の中に准胝観音像がみてとれた。
が、ご朱印を求める長い行列が厨子の前を横切るように横断し少々落ち着かない。
背中に行列の視線を感じながら般若心経を唱える。
不動霊場の札所は上醍醐にあると思い、時間的に半分諦めていたのだが
観音堂でご朱印がもらえるとのことで、観音様とお不動様のご朱印・水晶玉をいただくことができた。
弁天堂
醍醐寺と言えば桜が有名であるが、遥か以前に花見をしたことがある。
機会あれば華やかな季節に再訪してみたいものだ。
●美味しいものガイド
・阿闍梨寮 寿庵☞
・甘味 手打ち蕎麦 しも村☞
・雨月茶屋☞
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今年より、
西国観音巡礼地と地の利が重なる近畿不動尊霊場にも礼拝してみようと計画を立ててみた。
まずは三井寺の北に隣接する25番札所の「圓満院門跡」へ。
全国で17寺しかない皇室と縁のある由緒正しい天台宗系の「門跡」だが
調べてみると、前住職が水子供養ビジネスに失敗し多額の負債を抱え
勝手に重要文化財を売却してしまうなどの醜聞あり。
2009年にはとうとう寺自身が競売に掛けられ、
現在の宗教法人に売却されるという前代未聞の経緯に驚かされる。
また近年でも不当人事や給与未払いなどの裁判沙汰、
得体のしれない中国人投資家への転売「寺ころがし」など耳を疑うような噂にいとまがない。
ご朱印を書いていただいた僧侶は立派な方にみえたが
私が今後も巡るべき不動霊場としてふさわしいお寺なのか正直一抹の不安が残る。
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