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先月、梅田に用事があり今年3度目の大阪入りとなった。
大阪市内の大阪不動尊霊場の続きで、
中央区の谷町九丁目にある報恩院へ向かった。
こちらでは、霊木の樟を挟んで北向きと南向きのお不動様が背中合わせに立っておられるのが特徴。
一般的に神仏は南向きに祀られるが
特別な意味合いを持たせる場合、北向きに祀られることもある。
ちなみに、西向きの神社は荒魂であることが多い。
江戸時代、良遍上人が大阪の上町台地の佳き地を選び
現世利益の不動明王の世相にあった北向不動明王を造立したことが始まり。
商売繁盛と家内安全の諸願成就のご利益にすがろうとする庶民は日一日と増え
報恩院は香煙の絶えることがなかったといわれる。
大阪大空襲で北向不動尊を残して灰燼に帰したが
信徒や近隣住民の力で再興した。
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近畿不動尊霊場の第1番であるとともに、
西国三十三所観音霊場の番外、新西国霊場にもなっている四天王寺は
今回の大阪巡礼で最も期待していたお寺であった。
日本史の教科書にも載っていた、飛鳥様式の四天王寺式伽藍配置をこの目で見てみたかったのだ。
836年 落雷焼失
960年 火災焼失
1576年 石山本願寺攻めの兵火で焼失
1614年 大阪夏の陣で焼失
1801年 落雷焼失
1934年 室戸台風で倒壊
1945年 大阪大空襲で焼失
1963年 現在の姿に再建
石鳥居(重文・日本三大鳥居) 番匠器名号 金堂
龍の井戸(青龍が寺を守護している) 講堂
五重塔は信徒の供養位牌がズラリと並ぶ中、
最上階まで階段で上ることができるようになっている。
猛暑でサウナのように暑い塔内。急な螺旋階段を汗だくで上ったが
昨日の吉野の登山歩きの筋肉痛で膝が笑い、下る頃には一歩も動けなくなってしまった。
なんとかして対面の金堂へ入れば、
白鳳時代にみられる長方形の天蓋の下に
オレンジ色に鈍く光る、大きな救世観音像が目に飛び込んでくる。
杏仁形の目、大きな鼻はまさしく法隆寺で見た救世観音の特徴である。
戦後に作られた仏様だが、その存在感に圧倒される。
堂内は先祖供養の最中でお経が唱えられていた。
記憶が確かなら「大悲心陀羅尼」であったかと思う。
禅宗以外のお寺で耳にするのは珍しいのではないだろうか。
六時堂
石舞台(重文・日本三大舞台)
近畿不動尊霊場第一番のお不動さんは、亀井堂の脇にあり「亀井不動」と呼ばれている
水かけ不動で、御身体には苔がむしていた。
「ありがたや 法のはじめの 天王寺 亀井にうかぶ 不動明王」
ご詠歌の通り、亀井堂の地下には大きな石亀の水盤があり清水が湧き出ている。
ここでは故人を供養するため、戒名を書いた経木を柄杓に入れ清水に浸す姿が多くみられる。
間近で様子を見ていたが、残された家族の切なさが伝わってくるのだった。
お不動様に手を合わせていると、なにやら空が怪しくなり雷鳴が聞こえてきた。
突然の土砂降りは夏場の巡礼につきものだ。慌てず休憩所へ避難。
四天王寺に続けて、すぐ隣の清水寺へ礼拝予定も足止めをくらってしまった。
聖徳太子に「まだここにおれ」と言われているのだと解釈することにしよう。
毎年聖徳太子の命日の4月22日には雅楽が終日、
8月4日の夜にも天王寺舞楽が奉納される。機会あれば見に行ってみたい。
非常にダイナミックな踊りの「抜頭」
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