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◆986年 寛和の変(かんなのへん)
花山天皇がこの寺で藤原兼家、道兼父子の策略により出家させられ、
兼家の外孫である懐仁親王(一条天皇)が帝位についた
今熊野観音寺を離れ、山科にある元慶寺に向かった。
ご本尊が薬師如来であり、西国三十三所の番外札所の小さなお寺であるが
花山天皇が藤原氏の策略により出家させられたという
歴史的事件の舞台になった場所である。
この出家がなければ、
後の西国三十三所観音巡礼が世に広まることもなかったのかもしれない。
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弘法大師空海上人が唐の国から帰国してほどなくの頃、
東寺において真言密教の秘法を修法中に東山の山中に光明がさし瑞雲棚引いているのを見た。
不思議に思われてその方へ慕い行くと、その山中に白髪の一老翁が姿を現わし、
「この山に一寸八分の観世音がましますが、
これは天照大神の御作で、衆生済度のためにこの地に来現されたのである。
ここに一宇を構えて観世音をまつり、末世の衆生を利益し救済されよ。」と語りかけられ、
またそのときに一寸八分の十一面観世音菩薩像と、一夥の宝印を大師に与えた。
この時に老翁が立ち去ろうとされたので何びとかをたずねると、
「自分は熊野の権現で、永くこの地の守護神になるであろう。」と告げられて姿を消した。
大師は熊野権現のお告げのままに一堂を建立され、
みずから一尺八寸の十一面観世音菩薩像を刻まれ、
授かった一寸八分の像を体内仏として納めて奉安されたのが当山のはじまり。
弘法大師御作のこの観世音菩薩像は秘仏として大切にまつられている。
智積院を後にし、向かったのは西国三十三所第15番の今熊野観音寺であった。
お寺に着く頃には雨が本降りとなっていた。
参拝者も少なく、本堂では落ち着いて心経を唱えることができた。
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