一定期間更新がないため広告を表示しています
一定期間更新がないため広告を表示しています
元号が平成から令和に変り、地元の多くの人がお伊勢詣りをしているが
先週になって、ようやく私もお伊勢さんを詣でることにした。
当日は朝からにわか雨の空模様で足元が心配されたが
外宮で少し降られたくらいでなんとか一日もってくれた。
ところで、雨宿りに寄った「せんぐう館」が
一昨年の台風21号の被害で今も長期休館しているとのことで被害の大きさに驚いた。
●美味しいものガイド
・豚捨外宮前店☞
・ちとせ☞
・オステリアラブラ☞
・伊勢外宮前料理店 cocotte山下☞
・ダンデライオン・チョコレート 伊勢外宮前☞
より大きな地図で 西国巡礼手帖マップ を表示
地蔵堂(1632年・県文化財)
1329年 後醍醐天皇の命により、叔父の天真乗運を開山として創建
1462年 円福寺から曼陀羅寺へ寺号を変更
安土桃山 204石の朱印状
江戸時代 231石の黒印状
1632年 蜂須賀家政によって正堂が再興
1948年 西山浄土宗から曼陀羅寺を本山とする浄土宗西山曼陀羅寺派として分派するが、
1961年 西山浄土宗に合流する。
藤の花で有名な曼陀羅寺公園。
藤まつりに合わせ、曼陀羅寺の阿弥陀様を礼拝した。
曼陀羅寺は地元県民でもあまり知られていないが
後醍醐天皇の勅願によって創建された尾北地方で最も格式の高い霊場である。
✤藤まつりの模様は姉妹ブログの「Hoshigaoka W@lker」にて☞
◆中将姫伝説と曼陀羅寺
中将姫といえば奈良県の當麻寺にあるご本尊の曼陀羅を思い浮かべるが
愛知県江南市の曼陀羅寺にも同じ曼陀羅が残っている。
父親の藤原豊成の留守中、
継母に暗殺されかけた中将姫は美濃(岐阜市)の願成寺まで逃げ落ち
そこで織り上げた曼陀羅が尾張の曼陀羅寺へ伝わったとされる。
より大きな地図で 西国巡礼手帖マップ を表示
ドーマン
◆安倍晴明 (921〜1005年)
安倍晴明が中央政界で天文博士として活躍するのは50歳を過ぎてからで
出自などは諸説あり不明な点が多い。
それまでは陰陽師賀茂忠行・保憲父子に陰陽道や占いを学んだ。
979年 花山天皇の命で那智山の天狗を封じる儀式を行う
993年 一条天皇が急な病に伏せった折、晴明が禊(みそぎ)を奉仕したところ治癒し正五位上に叙された。
1004年 深刻な干魃が続き雨乞いの五龍祭を行ったところ雨が降り、一条天皇は被物(かずけもの)を与えた。
陰陽師として名声を極めた晴明は、
天文道で培った計算能力をかわれて主計寮に異動し主計権助を務めた。
その後、左京権大夫、穀倉院別当、播磨守などの官職を歴任し、位階は従四位下に昇った。
さらに晴明の2人の息子安倍吉昌と安倍吉平が天文博士や陰陽助に任ぜられるなど、
安倍氏は師である賀茂氏と並ぶ陰陽道の家としての地位を確立し、
明治時代まで続いた土御門神道の祖となることになった。
桜の季節に、京都市上京区の晴明神社を参拝することにした。
何気なく訪れた晴明神社であったが
安倍晴明が西国三十三所観音巡礼を確立した花山天皇とも深い関わりがあったことに驚いた。
また今回の参拝に際し、不思議な体験をした。
堀川通から神社へ向かって歩いていたところ、強烈な獣の匂いに包まれ思わず鼻を塞いだ。
それは動物園の像やライオンの檻の側を歩いているかのような悪臭であった。
神社の鳥居をくぐる頃にはほとんど匂いも気にならなくなっていったが
他の参拝者は全く気が付いていないようだった。
これは地元の環境によるものなのか、それとも霊的なものであったのか…
環境によるものであればご存じの方に教えていただきたい。
結界が張られた神社の周囲には様々な動物霊や低級霊が集まっていると聞いたことあるが
それらの匂いだったのだろうか?
●美味しいものガイド
・蕎麦屋 にこら☞
・美齢☞
・豆生庵☞
・ル・プチメック 今出川店☞
・カフェ ラインベック☞
・鶴屋吉信☞
・御菓子司 塩芳軒☞
・茶ろん たわらや☞
より大きな地図で 西国巡礼手帖マップ を表示
⇒ junrei3159 (11/19)
⇒ junrei3159 (11/19)
⇒ yuki (11/18)
⇒ yuki (11/18)
⇒ junrei3159 (11/01)
⇒ junrei3159 (11/01)
⇒ yuki (10/31)
⇒ yuki (10/31)
⇒ junrei3159 (04/03)
⇒ 舞子 (11/15)